初めてのジギング

遠い昔、まだ学生だった頃、山中湖でホプキンスを使って釣ったバスが、メタルジグでのファーストフィッシュではあるが、それは置いておいて、初ジギングのお話。

船に乗って、機会があればジギングができる環境になった。
初めてジグと道具を持ち込んでやったのは、伊豆諸島の南、ジョン万次郎が流れ着いた鳥島の近く。鳥島の周りにはいくつか浅瀬があり、そこで船を流してジギングをしてみた。その頃ジギングとはなんぞやといった状態で、ロッドはGT用の8フィート、リールはペンのスピニング、ジグは200gほどの長めのもの。そんな感じだった。そしてその頃はスローピッチジャークなんて言葉も知らず、ただひたすら早く巻くのがジギングだと思っていた。
鳥島沖の瀬を当てた船が流し始めた。デッキに出て、ジグを落とすも、そこの水深は1000mほど、200mくらい落としたところで、竿をしゃくりながら、早巻きをした。何度かしゃくって、やや疲れた頃、グッと重みが乗り、魚が走り出した。慌てて合わせ、取り込みに入ろうとしたものの、魚が強くなかなか巻けない、ラインは出される一方であった。しれでもやりとりをし、何とか取り込んだのはカンパチ。ジギング初フィッシュとしては上等だった。その日はミズウオがもう1つ釣れて終了。

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感想として、GTロッドをしゃくり続けるのは至難の業で、それなりの竿は必要なことがわかった。

数年経ち、いろいろ知識も増え、タックルも換えた。ある航海の途中、須崎の沖70mほどのラインで船を流したことがあった。
早速デッキでジギング開始。ジグはディープライナースロースキップ卒業生オススメのジグで、ロッド&リールもジギング用だ。
ジグを底まで落とし、クイックイッと引いてはス~~~ッと落とすを何度か繰り返し、やや巻き気味に上げてきて、またス~~~ッと落としに入ったところでラインが落ちる以上にフケた。と同時に、ガツッという強い引きが来た。反射的に合わせると、グググッと強い引きが来た。やや上で食わせたので、ドラグを少し緩め、切られないようにする。ラインはPE2号リーダーは8号だけど、これがどれ位のものかも解らなかった。強い引きに何度もドラグを出されながら、それでもだいぶ弱って浮いてきた。見ると大きな鯛だった。それにしてもデカイ。網で掬ってもらって、何とかキャッチ。計ると82cm。やったやた初マダイで大ダイだ!!知ってはいたが、「鯛がジグで釣れるとは」という正直な感想。たぶん良いハエの上を流れ、良いタイミングでジグを落としたのだろう。ラッキーが重なったとは言え、いきなり良い魚を釣ってしまった

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初めて海外で釣った魚

新婚旅行でカナダに行ったとき、どうしてもどうしてもやりたくて、嫁を説き伏せてサーモンフィッシングに行った。バンクーバーから船を出して、ニシンを餌に底を釣るやり方だった。バンクーバーと言えば、三平君がサーモンダービーに出た場所にも近く、良い釣りができるはずだったが・・・・「昨日まではそこそこ釣れていたのですが・・・」というガイドの毎度のうまい言い逃れで終わってしまった。

何年か経ち、出張でハワイに行く機会があった。決まってからはハワイでの釣りをいろいろ調べた。オフショアではジギングやトローリングができる、シャークフィッシングというのもある。中でも気になったのはピーコックバスが釣れるという。ピーコックバスといえば、アマゾンの奥地に行かないと釣れないモノだと思っていたのだが、ハワイで釣れるならやってみたいと思った。早速サイトを見つけ、ガイドがあるのも知った。サイトでは、レイクウイルソンというところにいて、ポイント名もあった。使うルアーは、ミノーやシャッド、トップウォーター、スラッゴーのようなワーム、そして面白いのはジョンソンシルバーミノーに代表されるウイードレススプーン。

早速ガイドとコンタクトをとり、予約を入れた。今回は飛行機だし、仕事で行くので、荷物の制限もあり、ガイドからタックルを借りることとし、ルアーだけ少量持って行った。

関空から飛行機でホノルル空港に到着し、その日は1日仕事。次の日は午後からの仕事なので、午前中にガイドしてもらうことになった。ホテルの下で待っていると、ボートを引いたピックアップが来た。

ガイドは茅野さんといい、日本人で、もう10年近くピーコックのガイドをしている。はじめはハワイで旅行ガイドをしていた。とのことであった。

車の中で話をしていると、わりとすぐに現地近くまで行き、給油しながら、ドライブインでランチを購入し、スロープに向かった。さすがアメリカというべきか、大して大きな湖ではないが、スロープの上にはちゃんと駐車場と、ピクニックテーブルがあり、スロープもしっかりしたモノであった。

ただ、水は・・・・数日前にストームが通過したようで、周りはパイナップル畑で赤土むき出しというので、カフェオレ色をしていた。ガイドによると「あまり良い状況ではない。濁りより水温低下が良くない」とのことであった。

スロープを出て、船外機でわりとゆっくりとリザーバーを下る。初めての場所であり、そこここに良さげな所がある。ガイドが居なければ一々打っていただろう。5分ほど走るとやや開けたところにで、そこで船外機が止まり、エレキを降ろした。ガイドは渋い表情のまま「ライズがないね」と。「普通はライズや、良ければボイルのようになるが、今日はない。」「カバーを打っていきましょう。」

それから何度かこのガイドと一緒に釣りをすることになるが、普通は、朝のうちはそこここでライズがあり、状況が良ければ鰹のなぶらのようなボイルになることもある。ボイルは一瞬で終わることもあれば30分も続くこともある。それからすると今日は本当によろしくない状態だったと言える。

湖岸には倒木があちこちに入り、ブッシュもある。また、陸生植物も冠水している。バス釣りのようにショアラインのカバーを打っていく釣りになる。ルアーは、ガイドのすすめもあり、スラッゴー4インチ。カラーは白。スキッピンも混ぜながらきわどく攻める。ふと見ると、前方の倒木近くでライズが出た。「魚だ!」とガイドに告げ、そこに投げ、ピピッと引いてくると、ルアーの後方で水が盛り上がった。「止めないで早く引いて!」ガイドの指示が出た。早めに引くとルアーは水面近くに来て、その後ろで水面が割れたものの、のらず「まだまだ、もっとはやく!といわれ、ルアーが水面に飛び出るくらい引いてくると、次にガツッと乗った。「合わせるんですか?」と聞くと、「そのまま巻いて」と言われ、リールを巻く。すると魚はバスよりも鋭い引きで、潜ったり、ジャンプしたりしたが、サイズがあまり大きくないので、寄せることができた。キャッチに成功したのは30クラスのピーコックバス。初めて釣った感動もあり、嬉しかった。

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その時の魚じゃないけど一応写真を・・・

その後もブッシュ打ちは続き、途中、ガイドが投げたウイードレススプーンに50が食った。そのデカイののファイトを見て、あれ釣りて~~~!!と思った。見せてもらうと、ウイードガードをゴム管でチューンしていた。(もちろん帰国してすぐまねさせてもらった。)それからしばらく、借りて投げさせてもらったが、反応はなかった。

その日は、もう1本スラッゴーで追加し、終了。

アマゾンでしか釣れない魚をハワイで気軽に釣ることができた。小さいながら引きも楽しかった。ガイド料はちょっと高いけど、アマゾンに行くことを考えれば安い安い。

以降、ハワイに行くような仕事になり、機会があればガイドをお願いしている。

初めてビッグベイトで釣ったこと(プチ自慢も含めて)

香川の府中湖で毎年オカッパリの大会がある。並木さんがゲストに来るということで、参加した。ルアーで釣ったバス1匹の長寸を競う大会で、毎年300人以上が参加する、メジャーなオカッパリ大会
何カ所かスポットを回った後にとある場所に入ると、でっかいルアーをドッポンドッポンと放っている人に会った。「あんなので釣れるわけないじゃん!ポイント潰しだ!!」と思い移動した。ルアーは今思えばモンスタージャックだった。
結局その日はあまりイイ魚が釣れず、本部に戻った。その頃はまだ例の外来種法のない時代で、釣れたバスのうちめぼしいのは本部に設置された風呂桶に入れられていた。その中を覗くとひときはデカい、ラグビーボールのような体型の55は下らないバスがいた。
いよいよ表彰式、優勝はそのバスだった。そしてそれを釣ったのが、先ほどでっかいルアーを放っていた人。「あれで釣ったんだ。スゲェ!!」
帰宅してからルアーについて調べてみた。すると結構いろいろな記事が出ていた。その頃は、でっかいルアーを“スイムベイト”と呼ぶページが多かった。スイムベイトにはワーム素材のいわゆるタロン系と、木やプラスティック系のいわゆるモンスタージャック系とがある。また、マニアックなところではクレイジークロウラーのような羽系のデカイのもあるらしかった。そんなことがすぐ検索できた。
そして調べてみると、特にハード系のビッグベイトは6000円とか7000円とか高価であった。
それなら作っちゃえ!ってことで、いろいろなページを見て、イメージを作り、気の向くまま削ってみた。

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それに下地コーティングだけした状態で、とにかく試してみたくて、近くの波介川へ向かった。なぜだかその日は最上流部に入った。自分は左岸。対岸にはなにやらビッグベイトを投げてるっぽい人もいた。第1投。ドパ~ンと投げて、ヒョロヒョロ(3連ボディにしていた)と引いてきた。「イイ動きじゃん、1発目にしては」と1人おつに入っていた。そしてほぼ足下まで来たそれに、ドバ!と出た。いきなり強い引きながら、タックルは十分強かったので、有無をいわせず引っこ抜いた。魚は足下でビトビト跳ねてる。すぐに駆け寄り掴んだ。デカイ!! 計ると51cmあった。第1投でいきなり51とは。ビッグベイトの威力を思い知った。

対岸で投げていた人は、後日、香川のビッグベイターとして有名な人とわかり、彼のページで交流させてもらった。

それから暫くはそのビッグベイトばかりを塗装もせずに使い続け、良いバスをバンバン釣った。ホントビックリするくらいナイスサイズが出た。そして使うに従い、徐々に壊れはじめ、ボディもえぐれたりした。それでもそれは魚を誘い続けた。

ビッグベイトはその頃全国でブームとなり各地でデカイ魚を誘ったようだ。自分も中古で買ったり、作ったりでビッグベイトも増えていった。

その年だけで、55超えが2本、50超えは数知れず、40後半になると毎回のように釣りまくった。

そして、徐々に羽系に進んでいった。初めて羽系ビッグベイトを見たときは、絶対これじゃ釣れないと思ったモノだが、「そういえば府中湖で、モンジャで釣ってたのを見たときも同じ思いがした」と考え、ある夕暮れ、普段はスレスレでなかなか釣れない流れ込みにハイフィンクリーパーを投げ、流れを横切るようにゆっくり引いてきたら、いきなり下から引ったくられた。取り込むと50cm。これで釣れる自信もつき、使う機会も増えていった。と共に、魚はどんどん釣れるようになった。ただ、持っているのはハイフィンクリーパー1つのみ、しかも、毎回のように羽のチューンをしていたら、羽が弱って、今にも折れそうになってしまった。新しいのを買うのも高いし、作ってみようと試してみた。ボディをジョイントにしてその部分に羽を付けた。カラーはオールドな感じにしたくて、フロッグスケールに塗ってみた。フロッグとあるが、できた感じは蛇のイメージがした。

この自作羽系、できあがって次の日、波介川でテストしてみると、1投目から結果が出た。47cm。よく食ったなという大きさ(ルアーがデカイので47では小さすぎる)だった。

ほぼ同時期に、ロッド&リール誌で、“ビッグベイト選手権”なる企画があった。自作のビッグベイトを競うという内容で、同誌で3月にわたって開催された。審査委員長は当時ビッグベイト番長と呼ばれていた菊本氏。まずは写真を添えた書類審査があり、応募した。その頃高知でビッグベイト仲間になっていたmボーさんも応募していた。数日後、編集部から電話があり、「あのベイト、書類審査通過です。よろしければ実物をお送りください」といわれた。しかし、実はその前日、イイ感じに雨が降り、荒れた中で自作羽モノで釣っていたらロストし待っていたのだ。嗚呼なんということか。そう伝えると「なんとかもう一度作れないですか?編集部の中でも期待していますので」「はいわかりました、作ってみますが、少し時間をください」とのことで、急いで作り、その時は下地に効果が早く、数回のディッピングで必要な強度の出る下地材(来画製)を使っていたので3日で完成させた。そしてまだ少しシンナー臭のするそれを編集部に送った。名前も必要というので、デカイ+羽モノということで、“メガクローラー”と名付けた。

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この選手権は、誌上でレビューがあり、それを見た読者からの投票と、菊さんの評価によって決まる。

寄せられた作品を見ると、多くがモンスタージャックのコピー的であった。その中で、高知県勢2人のモノはひとつは羽モノであり、もう一つは超巨大バズベイトであった。キワモノ2作ではあったが、菊さんからの評価は上々で、メガクローラーは菊さんから一番使ってみたいといわれ、mぼーさんのデカバズは“あほ度”で満点を取るという快挙を演じた。しかし、一般受けはイマイチで、上位入賞とはならなかった。それでもメガクローラーは「菊さん賞」を受賞し、たくさんの賞品をいただいた。そして何より嬉しかった。

 

並木さんと初めて会ったこと

創刊よりずっと愛読しているBASSER誌。その誌上で「バスプロ並木の出張講習」という企画があり、クラブで応募してみた。数日後編集部から採用の連絡があり、思ってもみなかったことが実現した。それからはクラブで並木さんの歓迎内容を検討し、当日に臨んだ。
7月某日、高知空港に並木さんの乗った便が到着した。クラブ総出で、横断幕を用意して今か今かと出てくるのを待っていた。到着ロビーに人があふれ、やがて引けていった。ついにはぱらぱらとなったモノの、並木さんは出てこなかった。ややって、雑誌等で見かけた姿が見えた。聞けば、前日は徹夜で原稿を書いていたらしい。便乗してすぐに気を失い、気がついたのは乗務員に起こされたときだった。とのことで、最後に降りてきた。
それでも横断幕をみて「嬉しい」と言ってくれ、緊張気味のクラブ員に、1人1人丁寧に言葉を掛け、握手をしてくれた。

並木さん・・・敢えて”さん付け”だが、実は大学の3つ下、つまり自分が4年の時の1年であり、上下関係のキツかった母校では、天皇様と奴隷くらいの差があった関係。それでも、この初めての出会いから、その真摯な態度、プロ意識に感化され、尊敬してしまったので、さん付けをするようにした。

今日の予定はこれからボートでキス釣りを楽しんでもらい、夕方からは宴会となっていた。それだけキツイ日程をこなしているなら、もっとゆっくりしてもらったら良かったと後で思いはした。
空港から釣り場に向かう途中、本番の講習場所である十市の池があるので、ちょっと寄り道をした。実際に一目見てもらおうとお思ったのだが、事前には「水草の多いの池」という情報だけを伝えていた。実際畔に立ったときの並木さんと編集部の反応は、「・・・」だった。あとで聞くと、「こんなに凄いベジテーションとは」と思っていたようだ。

そこから半時間ほどで出船し、キス釣りが始まった。この年のキスは絶好調で、それこそ入れ食いになり、チャリコやイイダコも釣れ、楽しいモノになった。

釣りの後はもう一度少し移動し夜の宴会に突入。飛び入りで並木サンファンも来て、結構遅くまで盛り上がってしまった。

翌日、やや寝坊気味で十市の池近くの集合場所に行くと、すでに皆集まっていた。

池の北側から、まずは実釣開始。並木さんは釣りをしているのを見ながらアドバイスをくれる。

それでもなかなか魚は釣れない。梅雨が明けてしまって朝からの猛暑で、魚も口を使ってくれない。そんな中、チビバス1本とライギョが1本だけであった。そうしていると、なにやら並木さんと編集部が慌ただしい、自分も呼ばれ「これから住吉池ですか?隣の池を見に行ってきます。これ僕の携帯です。何かあったら連絡ください」といわれ、編集の携帯を渡された。その足で編集と並木さんは移動。自分たちは残されて十市の池で釣り続行も、魚は釣れなかった。1時間ほどして、並木さんは十市に戻り、皆を集めこう言った。「この1時間、僕は隣の池を見てきました。そしてあっちの方が良いと結論を出しました。ここで提案ですが、あっちの池に移動して釣りを続けるのはどうですか?」と言われ、反対する理由もなく、皆で住吉池に移動。皆が集合したところで、クラブ釣り大会の開始となった。この企画が実現したときに「並木杯釣り大会をしたい」と編集部に掛け合っていたのだ。並木さんも何か賞品を提供してくれるとのこと、皆気合いが入る。

程なくして、次々と魚が釣れだした。並木さんにも来た。そして1時間経ち、釣り大会は終了した。その後、皆を集めてセミナーが始まった。「皆さん、こちらに移動してそこそこ釣れたようですね。良かった。はじめ十市の池を見て、危機感を感じたんです。あの池はベジテーションが豊富で、大物も居ると聞いていたのですが、梅雨の明けた今の時期、良い魚は沖のブレイクにいる。ウイードの中にいるかもしれないが、それが大きすぎてかえって魚が散る。実際釣れたのも、ブレイクが一番岸に寄ったところだ。この池では満足のいく釣りは難しいと思っていたら、隣にもう一つ池があると聞いた。それで行ってみた。底をテキサスで探ると、ハードボトムがあった。底が堅いと言うことは、流れがあり、ブレイクもある。しかもそれが届く範囲に。それにホテイのシェードが絡めば釣れるのではと思ったわけです。案の定、こちらに移ってからポツポツと釣れ出した。ホッとしました。」この見切りの速さ、判断の的確さに一同ビックリした。結局優勝は澤谷になり、並木さんからサイン入りリールが贈られた。

そしてこの様子はBASSER誌に6ページにわたって掲載された。

並木さんと初めてお会いして、バスプロという仕事の難しさや、厳しさを学んだ。そしてその人柄に惚れ込んでしまった。以降、いろいろな場面で交流が続いている。

初めての50アップ

昭和63年11月、就職して半年経ち、やっと念願のマイボートを購入した。何せその頃高知ではレンタルボート屋はなく、リザーバーで釣りをするのは至難の業だった。

学生の頃よりお世話になっていた、町田のプロショップ、キングフィッシャーにお願いして、ジョンボート(LOWE)12フィートと、エレキ(モーターガイドブレイブ18lb)、バッテリー、チャージャー、パドルと1そろえ送ってもらった。40万ほどだった。後に船外機ランカーで購入した。

それからは週末毎にデッキを組んだり、いろいろした。とにかく情報のない時代で、エレキってどう取り付けるの?みたいな状態だった。それでも何度も失敗しながらなんとかかんとか乗れるように組み上げた。

それまでに、何度か十市の池に通い、ランカーでリザーバーの情報も得ていた。

初めてのカートップフィッシングは穴内川ダムに決めた。室戸から国道55線を走り、32号線に入り、根引峠を超えて国道を折れ、くねくねと上るとダムが見えた。結構大きなリザーバーだ。そこからダム湖沿いの道をしばらく走ると、言われたスロープの入り口についた。

ここからはスイッチバック式に降りていき、水面近くで車を停め、ボートを降ろし準備した。

初めてボートに乗り込み、初めてフット式エレキを操船した。意外と簡単に思ったように動かせた。

スロープから上流(右)に向け進んだ。リザーバ特有の急進な地形があり、そこをディープクランクでなめるように引くイメージで進んだ。

しばらく進むと、それまでのガレ場から、赤土のスタンプがたくさんあるところに出た。ルアーはレーベルのファーストラックDR。なぜだかこれをスピニングタックルで引いていた。

船の進行方向斜め前方にキャストして途中スタンプに当てる感じで引いてきた。何度かスタンプを超えたように感じたとき、フッと軽くなりグッと重くなった。合わせると、もの凄い重い引きが来た。寄せてくると、かなりデカい。口なんか完全に拳が入ると思えるほど。恐々ハンドランディングした。デカい!!自己最高に違いない。早速計ってみると、50cm。やった!!ついに50釣ったぞ!!!それはもう1人で大喜び。ココで「キープして剥製にしたい」という気持ちがムクムクと。でも、何だかなぁとも思い、複雑な気持ちでリリース。

その間に風でだいぶ流されていた。もう一度ポジションを取り直し、同じようなコースをトレースしていると、またゴン!と来た。合わせると、さっきよりもずっと強重い引き。寄せてくると、今釣った50より2まわりほどデカい魚体。ハンドランディングして、計ると55cm。スゲー!!2投で50超えが2本。またさんざん迷ったあげく、これは剥製にすることに。入れておくモノがないので、船外機のカバーに魚を入れ、船尾に置いた。魚は暴れることもなく静かにしていた。その後、釣りをしながら何度も何度も魚を見てはニヤニヤ。これくらいの魚になると、下顎の厚さがすばらしい。何度も手に持って喜んだ。

その日はそのストレッチで40を1本追加したのみで終了。ってかその後は何が何だかわからない状態。当然集中もできず、早めに終了。

持ち帰った魚は、早速キングフィッシャーに連絡して、剥製にしてもらう手続きをとった。ちなみに料金は1cmあたり900円+額台。送料を含めて約60000円となった。今でも我が家のリビングにデンとしており、見る度にそのことを思い出す。

 

初めてフロッグで釣ったこと

十市の池に通い出して何年目だろう、その頃の十市は池の畔をハスが埋め尽くし、岸からやれるところに水面はほとんど無かった。そしてハスの葉の下には藻が茂っていた。
こういうところでは今ならフロッグをメーンに使うのだろうけど、その頃“フロッグ”として売られていたのは、スナッグプルーフガルシアフロッグハリスンスーパーフロッグかへるくんくらいのモノで、日本でフロッグを使ってる人なんてほとんど居なかったと思っている。
自分もなんだか自信が持てなくて、フロッグを使わずにいた。その日までは。
わずかに残った水面をトップで釣ったりしていたが、毎回のように藻が引っ掛かってくるし、一番釣れそうなハスの葉の下では使えないし、イライラがつのっていた。
とある場所に来たとき、不意に「フロッグ使ってみよ」と思い立ち、ベイトタックルの先にスナッグプルーフのフロッグを結んでキャストした。

・・・・ら、いきなりバックラッシュ。フロッグはかなり手前にポトリと落ちた。バックラッシュはかなり酷く、解くのに時間がかかっていた。それももうほどけ終わった頃、「ドッカ~~ン」とまさにそんな音がした。なんだなんだと思ったが、どうもフロッグの落ちた辺りらしい。フロッグも見当たらない。何となくリールを巻き糸が張ったところで大アワセをくれた。(もしかしたらバスが出たのかっていうスケベ根性丸出しで・・・)そしたら重みが乗り、バスの引きが来た。もう無我夢中で、引き寄せると、藻の塊がこっちに来た。手元に寄せ、藻をほどいていくと、中からデカいバスが現れた。計ると48cm。それまで苦労していたのに、簡単にデカいのが釣れちゃった。

その日はフロッグを使い続け、5本、すべて40を超えるバスをキャッチできた。釣りを終え、フロッグを見ると、頭が裂け、そのままでは使用不可の状態。その足でランカーに寄り、フロッグを3つほど追加すると、「十市ですか?」と聞かれた。「はい、今日初めてフロッグで釣れました。」と何か誇らしい気持ちになれた。

初めて高知で釣ったバス

昭和63年4月に高知県に赴任した。釣りはずっと続けていた。全国バス&ライギョ釣り場案内っぽい本で、高知県の釣り場を調べた。

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室戸から一番近かったのは奈半利の奥にある平鍋ダム。しかしリザーバで、足場が少ないと書いてあった。次に近いのは南国市の通称十市の池。ウイードが豊富でバスもライギョも釣れるとあった。赴任早々体調を崩したり、仕事が忙しかったりで、なかなか本格的な釣りに行けない日々が続いたが、なんとかGWの前に、十市の池に行ってみた。

室戸からは車で2時間ほど。室戸・奈半利・安芸・野市と過ぎて海岸線を走る。今のトンネルのない時代、少し細い道を走り、出ると、池があった。当時はハスの池ではあったが、GW前なので、まだ少し水面もあった。ウイードが多いとは書いてあったが、これほどまでとは思っていなかった。どこからやろうか迷いながら池の畔をうろうろした。

ふと目に止まった、やや水面の開けた場所。ルアーは、なぜだかレーベルのブラックスター。今思うとなぜだろう。自信を持っていたルアーでもないし、水面までもがあるのに少し潜るタイプだし、無くすのが嫌だから、普段あまり使わない(無くしても惜しくない)のを選んだのかな?そんな適当なルアーチョイスで、藻の切れ目を狙って投げた。グリグリッと少し巻いてプカッと浮かせる。また巻いて浮かせる。もう一度グリッと巻いたところで、グッと重みが来た。これが初めて高知で釣ったバスになった。型は35くらい。まずまずか。意外とすんなり釣れたかなという感じ。しかしその後は反応無くその日は終了。

これが十市通いの始まりだった。

 

初めての“ランカー”

ランカーって言葉を日本に持ち込んだのは則さんだと思う。フィッシング誌でトップウォーターの特集をやったときだ。その記事では(その頃はよく理解できていなかったが)大物という意味で使われていたと思う。年間ランキングに入るような大物=ランカーであったと思う。
その後何年かして、何かのテレビかビデオかで「これはランカーあるな」という言い方を聞いた。そして続いて観ているとどうも、50cmを超えることをランカーと呼んでいるようだ。言葉は変わるモノだし、上から否定はしないが、何だかなぁと思う。
で、私が初めて“大物”と呼べるバスは、大学4年の春先に釣ったモノだった。
水産大学で、船乗り課程を専攻していた自分は、4年卒業後、専攻科という課程に進学が決まっていた。専攻科に進学する者は、大学4年の冬に4ヶ月の乗船実習がある。シンガポール、ペナンと周り帰国したのが、春先であった。
帰国するやいなや、釣り友から、「千葉のリザーバーでむちゃくちゃ釣れるところを見つけた、行かないか?」と誘われた。もちろん即OKで釣行となった。
千葉市にわりと街に近い、丘の中にそのリザーバーはあった。その日は春の暖かい雨がポツポツ降っていて、釣り日和大物日和であった。
その頃より日本では“ゲーリーグラブ”が大爆発していた。4インチのグラブにそれなりのジグヘッドで泳がす釣りは、それまでのスライダーワームの飛ばない、引いてる感無いと言う頼りない釣りではなく、よく飛び、引き感もある、へたくそバサーには実に使いやすいアイテムだった。日本に帰ってきて、それを知り、早速いくつか持って行っていた。
その日は、入るなり、イイ型(35クラス)のバスが、それこそ入れ食いのように釣れた。そして、ヘッドもグラブもなくなり、プラグではあまり釣れなくなっていた。
最後に、放水口のポイントに入った。友人はそこでもグラブでほぼ入れ食いで、自分はスピナベなどにたまにヒットがある程度で悔しい思いをしていた。
タックルボックスを見ると、グラブ用ではないでかいジグヘッドがふと目に入り、その横に、チャートリュースのツインテールフラグラブがあった。ゲーリーのグラブは大人気でなかなか入手できず、これだけは余るように並んでいた。しゃぁなしで買った1袋であった。仕方がないので、デカジグヘッドにツインテールフラグラブを刺し、放水口の流れの先にドボンと投入した。4インチグラブなら中層をスイミングさせるところだが、このヘッドは重すぎて、すぐにボトムについた。なので、ボトムをチョンチョンと飛ぶようなアクション(ボトムパンピング)させながら引いてきた。ほぼ手元に来たとき、ちょんと跳ね上げるとグッと手応えがあった。そしてもの凄い引きが伝わってきた。慌てて取り込みに入る。ややあって浮いてきた魚は、これまで見たことのない大きさ。もうビビリながらハンドランディングするが、持ち上げるときに重かった重かった。口もデカイ。横にいた友達もビックリ。メジャーで測ってみると、48cm。デカイデカイ、こんなの初めて釣った。50には足りないけど、スゲー!
その日はその後何をしたか記憶はないが、満足して帰ったに違いない。

初めて釣ったブルーギル

ブルーギルという魚が居ると初めて聞いたとき、なんてカッコイイ名前の魚なんだ!と感動したことを覚えている。今のように害魚、外道扱いされるずっと以前の話。
そして、ブルーギルが釣れるのは、当時、伊豆の一碧湖と、宮崎の御池、鹿児島の薩摩湖等、限られたところという印象だった。それくらい情報もなかった。
家族旅行で伊豆に行ったときに一碧湖で挑戦してみたが、釣れなかった。

高校2年の夏、仲良かった仲間と「青春18切符」を使って九州を1周しようという旅行企画が盛り上がり、ついには実現してしまった。その中で、どうしても薩摩湖に行きたい自分はその日だけ単独行動をとって、薩摩湖畔に立った。薩摩湖は池かと思うくらい小さな湖で、ほぼ1周歩くことができた。バス狙いであちこちして、1カ所だけ、魚が水面まで浮いてきたが、それ以外は何の反応もなく、半分諦めていた。湖畔に座りながら、水面をボ~~~っと眺めていると、ポチュッと水面が割れた。何だろう、近くをよく見ると、なんだか青白いヒレの魚がフラフラ泳いでいる。「もしかしてブルーギル?」と思うと、居ても立っても居られなくなり、でも、魚のサイズが小さいのでルアーでは無理と判断し、ウキと袖針と、カミツブシを見つけ出し、ルアータックルの先に結んだ。餌は、近くを掘ると運良くミミズが出てきた。これを小さく切って針に刺し、少しキャストした。ウキが馴染んですぐ、ス~~~ッと引き込まれた。竿を立てると、ククッと小気味よい引きが来て、キャッチ。見ると、ブルーギルだった。「やったやった!ブルーギル釣ったぞ!!」と、今では考えられないリアクションだった。その後入れ食い、ミミズがなくなるまで10数枚釣った。それくらい釣ると、簡単に釣れるだけに、さすがに飽きた。

30年を経て、薩摩湖を訪れてみると・・・写真だけ。

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中身はまたの機会に書きます

初めて釣ったバスらしいバス

ファーストバスを手にしてからも、バスという魚はそんなにたくさん釣れるモノではなかった。当時というか、年齢もそうだし、タックルや生態面での研究等が不十分なこともあり、難しいターゲットだった。
当時の雑誌には、「プラスティックワームというのが出だした。水槽で観察した結果、バスはワームの尻尾からくわえ、徐々に飲み込む。だからアタリがあったら10秒は待ってから合わせる。」なんて記述があった。だからワームを買って、当時はテキサスリグしか方法がなくて、それを持って河口湖でキャストしたら、何投目かにアタリがあって、一生懸命に10カウントしているウチにバスが離しちゃう。もちろんその間リールのクラッチは切って走りたいがままにさせておいたのだが・・・それが何度もあり、やけくそでアタリがあって一呼吸で合わせたら、ガッツリヒットなんて事があった。その魚はバラしてしまったけれど、イイサイズだった。
そんな試行錯誤を繰り返しているなか、ある日津久井湖にボートを出した。ボートを出すのに2500円だった。当時の中学生には痛い出費。2500円あればプラグ2個以上買える。でも雑誌には「バスはボートからの方が断然有利。」と書いてあったので、思い切って乗ってみた。
北根小屋でバスを降りるとすぐそこに矢口釣具店と中村釣具店があった。その時は近い方の中村釣具店に行き、ボートの手続きをした。急な崖を降り、初めてボートに乗った。もちろん手漕ぎ。津久井湖右岸から漕ぎ出し、まずは三井大橋を目指した。

三井大橋といえば、津久井湖で大物スポットとして当時有名で、知り合いも47センチを釣ったとか。47センチといえば、当時超大物で、今のロクマルくらいの感じだったわけで、季節も関係なくそこにまずは向かった。三井大橋の橋脚を一通り釣り、何もなく、そこから下流に向けて進んだ。途中、給水塔の立ち入り禁止ブイがあり、そこを流しながら、下流のワンドに入った。ココは沢が2本流れ込んでおり、沢に挟まれた部分は馬の背になっている。減水時に見ると、馬の背の先端が山になっており、あとで見て、「これは釣れるわ!」と納得のいく地形であった。しかも山の頂上付近には細い立木が生えており、もうサイコーのロケーション。その時はそんな地形を知るよしもなく、山の頂上は水深3mほどだったはず。馬の背の延長上にボートポジションを取り、ルアーはクリームのワーム。カラーはまんまミミズ。

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ワームという言葉の通り、当時ワームはミミズのイミテーションと皆が考えていた。スライダーワームが有名になるずっと前の話。リグはテキサス、7グラムのシンカー。第1投。うまく岸際に落ち、ズルズルと引いてきた。ちょうど山にさしかかったあたりで、グッと強いアタリが来た。少し待って、ガッツリ合わせると、今までにないような強い引きが来た。それでも強引に寄せた。魚が見えた。それまで生では見たことのないような大きいバスだった。(とはいえ35クラス)震えながら、下顎掴みに入った。親指が触れた瞬間、バスは首を振ってもがいた。「素直につかませてくれる訳じゃないんだ」そう思った。もう一度、今度は気合いを入れてつかんだ。はが少し親指に食い込む感じもしたが、グッとそのまま力を入れ抜き上げた。

大きい!こんな時に限ってメジャーを持っていない。それでもフェンウイック・バッシングスピン952のグリップより長かった。キープしたい気持ちもあったが、リリース。

次の1投、また当たった。今度は少し小さいが、それでも30弱。自分史上2番目に大きいバスだ。

その後アタリは止まり、その日はそれで終了。デモでも、初めて“バス”と言えるような大きさのバスを釣った。もう嬉しくて嬉しくて。写真さえないが、今でもはっきり記憶に残っている。