初めてシリーズ第2弾
小学校高学年でルアー釣りの魅力に取り憑かれ、月一でルアーも集めだし、小さなタックルボックスもクリスマスプレゼントでおねだりして、ボックスの6割くらいが埋まった頃、中学生になった。
”ルアー釣り秘訣集”には巻末に釣り場案内も出ており、町田から近いところでは相模湖・津久井湖・震生湖・芦ノ湖と載っていた。対象魚として、ブラックバス、ナマズ、芦ノ湖ではそれに加えてニジマス、ブラウントラウト、ホンマスとあった。ナマズが釣りたい釣りたいと思い続けてはいるものの、中学生になり、違った小学校から来た友達も増え、また、雑誌などで取り上げられることが多かったブラックバスがターゲットナンバー1になっていた。
相模湖には、横浜線で八王子まで行き、そこから中央線で相模湖駅下車と書いてあった。津久井湖は横浜線橋本駅下車、バスで北根小屋等で下車と書いてあった。芦ノ湖には町田から小田急線で小田原に行き、そこからバスか、箱根線で箱根湯本まで行き、そこからバスとあった。町田から行くには、震生湖が、一番単純だった。小田急線で大秦野まで行き、あとは歩くかバスと書いてあった。一番行ってみたいのは芦ノ湖だが、入漁料も要るし、少し遠いので、震生湖に行くことに決めた。
小田急線新原町田には急行が止まり、急行に乗ると大秦野まで1時間弱でついた。駅を出ると、バスターミナルがあったが、歩いて行けるなら歩こうと、駅前の店で道を聞いた。店の人は「歩けなくはないけど、バスの方が・・・」と言いながら道を教えてくれた。
歩き出すとすぐに川を渡る橋に出た。橋から覗くと錦鯉のデカイのがうようよ泳いでいた。そこでいきなりこれを狙ってみることにした。一番はじめに買った赤白スプーンを結び、投げた。何投目か、グンッ!というアタリと共に、何かがヒットした。それはもの凄い引きで暴れ回った。少しすると、水面に出てバチャバチャやり出した。赤白の50cmはありそうな錦鯉だった。その騒ぎを見て人が集まってきて、中の一人に「ココの鯉は飼ってるから釣っちゃダメだ!!」と怒られた。・・・と言われても、ファイト中にどうしようもない。そうこうしているうちにプンッとルアーが外れた。針が伸びていた。おじさんには少し怒られ、「すみません知りませんでした」と言って反省しつつ、震生湖を目指した。これがルアーで初めて掛けた魚だった。強烈すぎる。
駅から小一時間歩き、畑の中の道を上り、少し下ってくると、森の中に「池」のような震生湖があった。関東大震災の時に川を堰き止められてできたので、そう呼ばれているらしい。まわりには遊歩道があり、静かな感じがした。畔には1件だけボート屋兼雑貨を売っている店があった。大きさは周囲1キロもないだろうか。とりあえず情報収集に、店に行ってみた。少し話をして、パンを買ったら、すいていたせいか、「桟橋で釣ってもイイよ」と言ってくれた。
桟橋に上がると、湖の半分ほどが見渡せた。湖面に向かい、右手は開けており、左手手前にはブッシュ、奥にはそれこそ教科書通りの立木があった。当然左を攻めてみる。ルアーは、雑誌「釣り人」の鹿児島大学釣り研が出した釣れるルアー統計の第2位、ホテントット紫カラー。第1位はレーベルファーストバックDRの紫だったが、吉田釣具店には売っていなかった。ホッテントットを立木めがけてフルキャストし、リールをグリグリッと巻くと、もの凄い抵抗とブルブルッという感覚が伝わり、あっという間にルアーは見えなくなった。あまり沈めて引っ掛かったらヤだなと思い、しばらく巻くのを止めた。ゆっくりゆっくり紫のホッテントットがお尻を先に浮いてきて、水面にポツンと出た。またグリグリッと巻いて浮かせる。何度か繰り返し、もうほとんど手前、ブッシュの横を通過し浮いてきたくらいのタイミングで、ルアーの斜め下側に何か影が見えた。大きさは20cmくらい。尻尾と思われる部分の先っちょが黒くなっていた。ホッテントットはまた水面に出た。陰ももっと近づいてきた。「バスだ!」思わず叫んだ。初めて見る生バスだった。友達の間でもまだバスを釣った者はいなかったし、生きているバスを見たり触ったりもしていない。ホッテントットを浮かせたままにしておくとバスはもう少し近づきルアーをよく見た後、沈んでいった。嗚呼嗚呼~~~~
その後何度か同コースを引いてみたモノの反応はそれきりだった。
ルアーを代えようと、タックルボックスを見た。一番上のトレーに、最近買った2匹100円のカエルルアーが見えた。緑で小さなモノだった。今日に備えて、針を仕込んできていた。
それを取り出し、思い切ってブッシュに投げ込んでみた。カエルは着水と同時にゆっくり沈み、ピッピと引くとやや浮いて水面近くに来た。それを追うように下からバスの魚影が2つ現れた。そこでカエルを沈めるとそれを追うように沈んでいった。またピッピと引くと、次はもうついてこなかった。嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼~~~~
それきりそこでの反応はなくなり、店の人にコーフン気味に話をしてからお礼を言って、桟橋を降りた。そこから遊歩道を歩きながら釣りをしたが、その日はそれ以降何もなかった。
これが、私のバスとのファーストコンタクトになった。
その年の夏(中1の夏)、友人が、「相模川のジャリ穴にもバスが居る。」という情報を持ってきた。1週間後、相模川攻撃隊が編成され、昭和橋に向かっていた。自転車で。
町田から相模川までは自転車で1時間ほど、昭和橋に着いた。相模川の(津久井湖の下流ではあるが)上流部にあたるが、川幅は広く、橋も大きかった。橋の対岸にはジャリ穴ではなく、ワンドがあった。ワンドに降りていくと、丁度ルアーマンが居た。その頃ルアー釣りをしている人をそう呼ぶことが多かった。バス釣り、トラウト釣りという区分がそれほどあったわけではなかった。
ルアーマン氏は大きな両開きの(アムコの)タックルボックス一杯にプラグを入れていた。うわ!スゲ~~~!!ルアーマン氏にお願いして、タックルボックスの中身を見せてもらった。あこがれのルアーが山盛りのボックスを見て、「いつかは俺もこんなになりたい」と思った。ルアーマン氏はブローニングのロッドとミッチェルのリールに、ガルシアフロッグを付けて、ワンドの対岸に浮いている木を狙って投げた。ポトンと落ちて、ス~ス~っと正に蛙が泳ぐように引いてくると、下から、震生湖のとは2まわり以上大きいバスっぽい陰が複数浮いてきた。ルアーの真下まで来たモノの、結局は食わず、反応はなくなった。
その日、自分たちが釣りをしたのか、その記憶はない。それでもルアーマン氏のことは今でも覚えている。それだけ衝撃が強かったのだろう。
相模川にバスが居るということは、バスがより近くに来たと感じさせた。何せ、自転車で行けるのだから。それから1夏の間に何度か場所も変えながら相模川に攻撃隊は出撃したモノの、釣ることはできなかった。ただ、夏の終わりにいった田名のジャリ穴では、死にかけのバスを捕獲し、初めて生きたバスに触ることができた。
その頃、バスは冬には釣れないといわれていた。深いところで冬眠状態で、餌は食わない・・・と。だから、秋が終わるとバスシーズンは終わりだった。
通っていた薬師中学校では2年生が林間学校に行くことになっていた。行き先は山中湖。ちょうどその春頃より釣り雑誌には富士五湖でバスが釣れるという特集が組まれ出した。そして山中湖でも、平野ワンドでバスが釣れると書いてあった。林間学校の宿を見ると正に平野ワンドに面したところであった。「やるっきゃないでしょ」って事で、雑誌に書いてあったヒットルアーをコツコツと買い集めることにした。中学になり、新聞配達のアルバイトをしていたので、ルアーを少しは買えるようになっていた。
ヒットルアーナンバー1は、セルタ、2g。メップス・アグリア、ブレットンなどの小型スピナー。中でもセルタが抜群と書いてあった。それらをいくつか買い、林間学校に臨んだ。
2日目の早朝、いつものメンバーは平野ワンドに立った。数メートル間隔に開き、思い思いにルアーを投げた。その頃の平野ワンドは、ほぼ水面までウイードが覆い、少しでも沈めると藻が掛かった。初めのうちはその藻が掛かったのをバスのヒットと勘違いし、思いっきり合わせ、ロストを繰り返した。とうとう最後のスピナーが無くなった。その頃友達は、セルタで、ファーストバスをキャッチしていた。それもほぼ全員。釣れてないのは自分だけ、しかもスピナーもなくなっちゃった。ヤバイ。で、タックルボックスを見て考えた。釣れていたバスはどれも小さく、15cmほど。ならば大きなルアーはダメだ。そこで目に止まったのは背中が緑で腹が黄色のヘドンタイガーカップ。それを結び、藻の切れ目にキャスト。グリグリッと潜らせ、フラフラッと浮かせる。グリグリ、フラフラ、グリグリ、フラフラ バチャ!水面が割れた。
何が何だかわからない。でもたぶんタイガーに魚が出たのだろう。そこでなぜだか一呼吸置いて合わせた。グッと重みが掛かり、乗った。それからは無我夢中で取り込んだ。ファーストバスだ!!しかもプラグで釣った。トップ状態で釣った。友達のより大きかった!!
もう嬉しくて嬉しくて。大事に大事にストリンガーに通した。リリースなんて考えない。持って帰って自慢しなきゃ。その思いで宿に無理を言って冷蔵庫に入れさせてもらった。
今思うと、トップのアワセが自然にできていた。その一呼吸は神様が知らせてくれたのか?自然にできていた。
バスは帰宅後、魚拓にとり、塩焼きにして供養した。おいしかった。
そのタイガーカップ(タイガーカブという言い方もあるが、その頃はカップと呼ばれていた)は今でも手元にあり、時折ニヤケを誘っている。