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思い出した!初めてのシイラ

バス釣りオンリーから海の釣り、シーバスからのアカメに移った頃、アカメの凄い引きに翻弄され、何もできずにバラすことが連発した。たまたま良いタイミングで「シイラやってみんかえ?」と誘われた。シイラ釣りをやってみて、デカイ魚への初期対応を学べたと思う。

裏戸湾内のマリーナを出た船は、一路南へ向かう。目的地は“手結沖”のシイラ漬けだ。沖を回遊するシイラは、何かの物陰によく付く性質がある。シイラ漬けはこれを利用した人工漁礁で、海底に錘を置き、そこからロープを伸ばし、水面には竹を束ねたウキを設置するもので、土佐湾では手結沖と、佐賀沖に多く設置されている。高知港から南へ向かえば、そのまま手結沖の漬けに当たるということになる。もちろんシイラ漬けは、漁師さんが設置したもので、個人が勝手に釣りをしてもイイものではない。今回はちゃんと漁師さんに了承を得たものしかやらなかった。

出港し40分ほどで最初の漬けに付いた。船は漬けから50mほど離して停止した。船長は、「バスのようにギリギリを打たなくても大丈夫。最初なので様子見にポッパーがイイかな?」というので、とりあえず漬けをめがけてシイラ用のポッパーを投げた。着水してすぐにデカ目のポップ音を出し、長めのストロークで引いてくると、すぐに下から青い魚体が数匹浮いてきた。そのまま引き続けると、もっと多くの魚が湧いてきて、もうパニック。そのうち1匹がポッパーを食った!!いきなりもの凄いスピードで持って行かれ、合わせるどころではなかった。やや走られた後、強めに2度ほどアワセをくれた。魚はジャンプをしたりもぐったり、とても楽しいファイトをした。何とかキャッチしたのはメーターを超える雌。リリースしてまたすぐ投げる。しかしもう反応はない。「1回でスレちゃったなぁ」と船長。ルアーをペンシルに換えるとまた少し浮いてきたが途中でUターン。シイラの下に茶色い魚も見えたので、ジグに換えて少し沈めてしゃくるとガッと来た。でも小さくすぐにキャッチ。カンパチの小さいの。ジグへの反応もなくなり、次の漬けに移動。

第2漬け、ここも1投目は反応すこぶる良いものの、キャストする度に反応が落ち、終了。

第3漬け、同様。

第4漬け、ルアーをやや小さめのペンシルに代えると良い反応。でも早引きすると飛び出してしまい、スピードで見切られる感じ。

第5漬け、ルアーはシンキングペンシルのハニートラップに変更。これが当たり、早く引いても飛び出さず、ベイトサイズにもマッチしたようで、今までにない反応と、それが長続き。

そこからしばらくハニートラップで楽しい釣りができ、食った瞬間の対応、ダッシュしたときの対応も勉強になった。シイラは、食って、まず第1弾の引きが弱まったときに取り込むとそれでおしまい。ただ、1回目の取り込みタイミングを外すと、そこからはやたら長いファイトとなる。シイラが怒ったと船長は言うが、まさにそんな感じ。リリース前提なら、怒らせる前の元気なうちに取り込み、リリースするように心がけた方がよい。そのためには、ややオーバー目のタックルがイイ。

ハニートラップではもう十分釣ったので、ヤマトに代えてみる。もちろんフックは大きいもの2本に替えてある。新漬けに着いての第1投、ヤマトは良いところに落ち、ロングジャークで泡をまといながら潜らせると、何匹が付いてきた。またジャークを入れるとそのうち一番デカイのが食った!!イイファイトを堪能してキャッチ。この日一番の雄。まっ黄っ黄になっていた。

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その後何本か追加し、十分楽しめたので、終了。

ホント、トップでやれるので、楽しくてコーフンする。そして上にも書いたが、デカイ魚への対応を学べる。このサイズの魚を1日で何本も相手することなどほとんどないし、何本もとやることで、余裕もでき、実験ぽいことができる。土佐湾にはシイラ漬けがたくさんあるので、漁師さんとうまくやれば身近で大物ファイトが楽しめる良い環境だと思う。(シイラ漁師が出している遊漁船もある)

ハワイのピーコックバス

前にも初ピーコックのことは書きました。
その後、ハワイに行く機会も増え、できる毎にハワイでピーコックバス釣りをやってます。

ピーコックバスの魅力は、まずはアマゾンでないとなかなかお目にかからないのに、ハワイで釣れること。今ではフロリダや台湾にもいるらしいが・・・
トップによく反応すること。でもなかなか乗らなかったり・・・
引きが強いこと。派手なジャンプをすること。
釣り方が色々あること。
そんなところでしょうか。

初めての時から今までに、6度、ガイドをしてもらってます。
様々なことがあり、一番良い時間帯である早朝を狙うことができないハンデもありますが、今までボウズはありません。
いくつか印象的な場面を書きます。
2度目にガイドしてもらったとき、前回がコーヒーでコンディションが良くなかったのと、初めてで何もわからなかったのと、タックルがレンタルだったのをふまえ、自前タックルで臨みました。水はステインでイイ感じ。スロープからしばらく走った広い水域に着くと、ライズが結構ある。それをめがけてスラッゴーを投げるが、あまりヒットしない。仕方がないので、日本で自信のあるポッパーを投げると、ヒット。ガイドも驚きの声を上げる。そして、ピーコックとチヌの共通性を認識した。「ピーコックはチヌだ!」日本のチヌ釣りのやり方をスピーディーにアジャストすればピーコックにハマることが判った。そして前回は全く見えなかった、この湖のメーンベイト“シャッド”をみることができた。大きさは2インチくらいの少し平べったい魚。そして、ガイドが言うには「ピーコックは魚しか食べない。もっと言うとシャッドしか食べない」つまり、シャッドに似たルアーが有効ということ。そうなると日本にある一番小さいサイズのシャッド、たとえばハイカットだとかマイティーペッパーの一番小さいヤツが有効。ワームもできればそのサイズに合わせたらいい。そんなことがわかった。複数回やることで理解が進んだ。

この湖にはピーコックバス以外にレッドデビル、ラージマウスバス、スモールマウスバス、ニードルフィッシなどルアーの対象となりやすいものと、プレコなど対象となりにくい魚も住んでいる。
ピーコックが釣れない時間が続くと、つい手を出したくなるのがレッドデビル。名前は怖いが、日本のギルみたいな位置づけ。外道扱いされる。そして臆病で、大きなルアーをなると逃げるが、小さいルアーのはちょっかいを出してくる。そしてオレンジ色でよく目立つので、ついついてがってしまう。

最初の時に衝撃を受けたシルバーミノーの釣り、倒木の根元近くにできるだけタイトにキャストし、そのままフリーフォールさせ、着底後一気にファーストリトリーブするというもの。その速さに負けず、もの凄い勢いでピーコックが追ってきて食う。もうコーフンしまくりの釣りになります。ただ、単純な釣り方なので、長くは続けにくい。何投かでやめてしまうことが多く、それまでは反応のないまま「いつかはこれで釣りたい」と思い続けていた。5回目にガイドしてもらったとき、朝のライズ打ちで何匹か釣り、ライズも少なくなったので、倒木打ちに変更した。そして、ベイトタックルにシルバーミノーを結び、2本の倒木がクロスした、その一番奥にうまくキャストが決まった。フォールさせ、ファストリトリーブしてくると、シルバーミノーの後ろから猛ダッシュでデカイ真っ赤なピーコックがついてきた!!しかしバイト寸前でひるがえってしまった。嗚呼残念。でもコーフンMAXでした。その後は反応なく、釣れずじまいのままでした。6回目のガイドの時も、あのコーフンが忘れられず倒木に何度かキャストし、フォール中に違和感を感じて巻き合わせると、軽~~~い引きで、釣れてきたのはなんとレッドデビル。ガイドも「この釣り方でレッドデビルは珍しい、初めてかも」との事でした。

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最大魚は、これも5回目の時に釣れた52cm。先ほどのシルバーミノー猛追の後、少し動くと、倒木の回りをウロウロするペアのピーコックを発見。「例年ならもう産卵は終わってるのですが、今年はまだやってるみたい」とガイド。ネストはないようだが、ネストを意識してるみたい。「これを投げて」とガイドに手渡されたのはやや大ぶりなダブルスイッシャー。ややゆっくり目に頭の上を引いてみてとのこと。言われるがまま、少し向こうに投げ、ジャッジャッと引いてくると、デカイ方(オス)が、ルアーの後ろについて、見つめる。「食え!食え!!」と思ったが、そいつは口から水をはき出し、追っ払いにかかる。「何で吐くかな?吸えよ~~!」と思ったが、吐くを繰り返す。「何かミノーっぽいの持ってないですか?」とガイド「ベントミノーなら」とそれを付けて投げる。ちょんと引き少し潜らせると、さっきのオスがまた寄ってきて、今度はパホッと吸い込んだ。すかさず合わせると猛ダッシュで倒木の下に潜り込まれ、やや強引に引くとバレちゃった。嗚呼嗚呼嗚呼!!!せっかくデカイのがOSPに食ってくれたのに~~~しばらくみていると、2匹は逃げずにまたウロウロし始めた。「少し休ませましょう」とガイドが言い、移動。
ちょっと動いた先の水面がザワザワしてる。そこに向けて、その日ボイル打ちで使っていたバスアサシンを投げ、チャチャっと水面近くを引いて来ると、ドバ!!と出た。それを見ていなかったガイドが慌てて「どうしました?」と聞いてきたので、「水面がざわついてたので投げたら出た」と説明。出ただけで乗らなかったのだが・・・「たぶん稚魚を守っていた魚です。デカイトップに一番出やすいタイプ」と説明してくれた。
そうこうしているうちに、また先ほどの倒木スポットに戻り、トップを色々投げてみる。寄ってきては吐き出すを繰り返す。タックルボックスを見ると、シンキングラパラが目に入った。それを投げて魚のいる辺りでフォールさせると、それについて魚も沈んでいき・・・・結局根掛かり。これで場をまたも荒らしてしまった。でも、トップは吐き出すけど、ミノーには反応することがわかった。また移動で場を休める。
3度目、ガイドがこれを使ってと「ハンクルミノー」を手渡す。それを投げてトゥイッチすると、またデカイオスの方が食った。そしてまた、倒木に潜った。ラインは14ポンドと太いので、今回はリールをフリーにして少し走らせた。そしてガイドに言って、船を倒木に近付けてもらい、ラインをかわすと、まだ魚は付いていた。慎重に倒木から魚を離すように誘導し、何とかオープンスペースに出した。すると魚は一気に潜りだした。さっきのファイトでラインが弱っていたらヤバイのでドラグを緩め走らせた。次に魚は一気に上昇し、ジャンプ!!ここでバラしたら立ち直れないので、ビビリながらやりとりをする。何度かの突っ込みとジャンプをしのぎ、やっとキャッチ。やったやったデカイデカイ!!計測すると、52cm初50オーバー。

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ただ、手渡してくれたのが阿修羅だったらなぁとか、どうして自分で持ってこなかったかなぁとか悔やんだりはした。コイツの口には先ほどのベントミノーで付いた傷が残っていた。

ま、それでも一応イイ釣りができた。満足で終了。

初めて海外で釣った魚

新婚旅行でカナダに行ったとき、どうしてもどうしてもやりたくて、嫁を説き伏せてサーモンフィッシングに行った。バンクーバーから船を出して、ニシンを餌に底を釣るやり方だった。バンクーバーと言えば、三平君がサーモンダービーに出た場所にも近く、良い釣りができるはずだったが・・・・「昨日まではそこそこ釣れていたのですが・・・」というガイドの毎度のうまい言い逃れで終わってしまった。

何年か経ち、出張でハワイに行く機会があった。決まってからはハワイでの釣りをいろいろ調べた。オフショアではジギングやトローリングができる、シャークフィッシングというのもある。中でも気になったのはピーコックバスが釣れるという。ピーコックバスといえば、アマゾンの奥地に行かないと釣れないモノだと思っていたのだが、ハワイで釣れるならやってみたいと思った。早速サイトを見つけ、ガイドがあるのも知った。サイトでは、レイクウイルソンというところにいて、ポイント名もあった。使うルアーは、ミノーやシャッド、トップウォーター、スラッゴーのようなワーム、そして面白いのはジョンソンシルバーミノーに代表されるウイードレススプーン。

早速ガイドとコンタクトをとり、予約を入れた。今回は飛行機だし、仕事で行くので、荷物の制限もあり、ガイドからタックルを借りることとし、ルアーだけ少量持って行った。

関空から飛行機でホノルル空港に到着し、その日は1日仕事。次の日は午後からの仕事なので、午前中にガイドしてもらうことになった。ホテルの下で待っていると、ボートを引いたピックアップが来た。

ガイドは茅野さんといい、日本人で、もう10年近くピーコックのガイドをしている。はじめはハワイで旅行ガイドをしていた。とのことであった。

車の中で話をしていると、わりとすぐに現地近くまで行き、給油しながら、ドライブインでランチを購入し、スロープに向かった。さすがアメリカというべきか、大して大きな湖ではないが、スロープの上にはちゃんと駐車場と、ピクニックテーブルがあり、スロープもしっかりしたモノであった。

ただ、水は・・・・数日前にストームが通過したようで、周りはパイナップル畑で赤土むき出しというので、カフェオレ色をしていた。ガイドによると「あまり良い状況ではない。濁りより水温低下が良くない」とのことであった。

スロープを出て、船外機でわりとゆっくりとリザーバーを下る。初めての場所であり、そこここに良さげな所がある。ガイドが居なければ一々打っていただろう。5分ほど走るとやや開けたところにで、そこで船外機が止まり、エレキを降ろした。ガイドは渋い表情のまま「ライズがないね」と。「普通はライズや、良ければボイルのようになるが、今日はない。」「カバーを打っていきましょう。」

それから何度かこのガイドと一緒に釣りをすることになるが、普通は、朝のうちはそこここでライズがあり、状況が良ければ鰹のなぶらのようなボイルになることもある。ボイルは一瞬で終わることもあれば30分も続くこともある。それからすると今日は本当によろしくない状態だったと言える。

湖岸には倒木があちこちに入り、ブッシュもある。また、陸生植物も冠水している。バス釣りのようにショアラインのカバーを打っていく釣りになる。ルアーは、ガイドのすすめもあり、スラッゴー4インチ。カラーは白。スキッピンも混ぜながらきわどく攻める。ふと見ると、前方の倒木近くでライズが出た。「魚だ!」とガイドに告げ、そこに投げ、ピピッと引いてくると、ルアーの後方で水が盛り上がった。「止めないで早く引いて!」ガイドの指示が出た。早めに引くとルアーは水面近くに来て、その後ろで水面が割れたものの、のらず「まだまだ、もっとはやく!といわれ、ルアーが水面に飛び出るくらい引いてくると、次にガツッと乗った。「合わせるんですか?」と聞くと、「そのまま巻いて」と言われ、リールを巻く。すると魚はバスよりも鋭い引きで、潜ったり、ジャンプしたりしたが、サイズがあまり大きくないので、寄せることができた。キャッチに成功したのは30クラスのピーコックバス。初めて釣った感動もあり、嬉しかった。

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その時の魚じゃないけど一応写真を・・・

その後もブッシュ打ちは続き、途中、ガイドが投げたウイードレススプーンに50が食った。そのデカイののファイトを見て、あれ釣りて~~~!!と思った。見せてもらうと、ウイードガードをゴム管でチューンしていた。(もちろん帰国してすぐまねさせてもらった。)それからしばらく、借りて投げさせてもらったが、反応はなかった。

その日は、もう1本スラッゴーで追加し、終了。

アマゾンでしか釣れない魚をハワイで気軽に釣ることができた。小さいながら引きも楽しかった。ガイド料はちょっと高いけど、アマゾンに行くことを考えれば安い安い。

以降、ハワイに行くような仕事になり、機会があればガイドをお願いしている。

初めてビッグベイトで釣ったこと(プチ自慢も含めて)

香川の府中湖で毎年オカッパリの大会がある。並木さんがゲストに来るということで、参加した。ルアーで釣ったバス1匹の長寸を競う大会で、毎年300人以上が参加する、メジャーなオカッパリ大会
何カ所かスポットを回った後にとある場所に入ると、でっかいルアーをドッポンドッポンと放っている人に会った。「あんなので釣れるわけないじゃん!ポイント潰しだ!!」と思い移動した。ルアーは今思えばモンスタージャックだった。
結局その日はあまりイイ魚が釣れず、本部に戻った。その頃はまだ例の外来種法のない時代で、釣れたバスのうちめぼしいのは本部に設置された風呂桶に入れられていた。その中を覗くとひときはデカい、ラグビーボールのような体型の55は下らないバスがいた。
いよいよ表彰式、優勝はそのバスだった。そしてそれを釣ったのが、先ほどでっかいルアーを放っていた人。「あれで釣ったんだ。スゲェ!!」
帰宅してからルアーについて調べてみた。すると結構いろいろな記事が出ていた。その頃は、でっかいルアーを“スイムベイト”と呼ぶページが多かった。スイムベイトにはワーム素材のいわゆるタロン系と、木やプラスティック系のいわゆるモンスタージャック系とがある。また、マニアックなところではクレイジークロウラーのような羽系のデカイのもあるらしかった。そんなことがすぐ検索できた。
そして調べてみると、特にハード系のビッグベイトは6000円とか7000円とか高価であった。
それなら作っちゃえ!ってことで、いろいろなページを見て、イメージを作り、気の向くまま削ってみた。

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それに下地コーティングだけした状態で、とにかく試してみたくて、近くの波介川へ向かった。なぜだかその日は最上流部に入った。自分は左岸。対岸にはなにやらビッグベイトを投げてるっぽい人もいた。第1投。ドパ~ンと投げて、ヒョロヒョロ(3連ボディにしていた)と引いてきた。「イイ動きじゃん、1発目にしては」と1人おつに入っていた。そしてほぼ足下まで来たそれに、ドバ!と出た。いきなり強い引きながら、タックルは十分強かったので、有無をいわせず引っこ抜いた。魚は足下でビトビト跳ねてる。すぐに駆け寄り掴んだ。デカイ!! 計ると51cmあった。第1投でいきなり51とは。ビッグベイトの威力を思い知った。

対岸で投げていた人は、後日、香川のビッグベイターとして有名な人とわかり、彼のページで交流させてもらった。

それから暫くはそのビッグベイトばかりを塗装もせずに使い続け、良いバスをバンバン釣った。ホントビックリするくらいナイスサイズが出た。そして使うに従い、徐々に壊れはじめ、ボディもえぐれたりした。それでもそれは魚を誘い続けた。

ビッグベイトはその頃全国でブームとなり各地でデカイ魚を誘ったようだ。自分も中古で買ったり、作ったりでビッグベイトも増えていった。

その年だけで、55超えが2本、50超えは数知れず、40後半になると毎回のように釣りまくった。

そして、徐々に羽系に進んでいった。初めて羽系ビッグベイトを見たときは、絶対これじゃ釣れないと思ったモノだが、「そういえば府中湖で、モンジャで釣ってたのを見たときも同じ思いがした」と考え、ある夕暮れ、普段はスレスレでなかなか釣れない流れ込みにハイフィンクリーパーを投げ、流れを横切るようにゆっくり引いてきたら、いきなり下から引ったくられた。取り込むと50cm。これで釣れる自信もつき、使う機会も増えていった。と共に、魚はどんどん釣れるようになった。ただ、持っているのはハイフィンクリーパー1つのみ、しかも、毎回のように羽のチューンをしていたら、羽が弱って、今にも折れそうになってしまった。新しいのを買うのも高いし、作ってみようと試してみた。ボディをジョイントにしてその部分に羽を付けた。カラーはオールドな感じにしたくて、フロッグスケールに塗ってみた。フロッグとあるが、できた感じは蛇のイメージがした。

この自作羽系、できあがって次の日、波介川でテストしてみると、1投目から結果が出た。47cm。よく食ったなという大きさ(ルアーがデカイので47では小さすぎる)だった。

ほぼ同時期に、ロッド&リール誌で、“ビッグベイト選手権”なる企画があった。自作のビッグベイトを競うという内容で、同誌で3月にわたって開催された。審査委員長は当時ビッグベイト番長と呼ばれていた菊本氏。まずは写真を添えた書類審査があり、応募した。その頃高知でビッグベイト仲間になっていたmボーさんも応募していた。数日後、編集部から電話があり、「あのベイト、書類審査通過です。よろしければ実物をお送りください」といわれた。しかし、実はその前日、イイ感じに雨が降り、荒れた中で自作羽モノで釣っていたらロストし待っていたのだ。嗚呼なんということか。そう伝えると「なんとかもう一度作れないですか?編集部の中でも期待していますので」「はいわかりました、作ってみますが、少し時間をください」とのことで、急いで作り、その時は下地に効果が早く、数回のディッピングで必要な強度の出る下地材(来画製)を使っていたので3日で完成させた。そしてまだ少しシンナー臭のするそれを編集部に送った。名前も必要というので、デカイ+羽モノということで、“メガクローラー”と名付けた。

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この選手権は、誌上でレビューがあり、それを見た読者からの投票と、菊さんの評価によって決まる。

寄せられた作品を見ると、多くがモンスタージャックのコピー的であった。その中で、高知県勢2人のモノはひとつは羽モノであり、もう一つは超巨大バズベイトであった。キワモノ2作ではあったが、菊さんからの評価は上々で、メガクローラーは菊さんから一番使ってみたいといわれ、mぼーさんのデカバズは“あほ度”で満点を取るという快挙を演じた。しかし、一般受けはイマイチで、上位入賞とはならなかった。それでもメガクローラーは「菊さん賞」を受賞し、たくさんの賞品をいただいた。そして何より嬉しかった。

 

並木さんと初めて会ったこと

創刊よりずっと愛読しているBASSER誌。その誌上で「バスプロ並木の出張講習」という企画があり、クラブで応募してみた。数日後編集部から採用の連絡があり、思ってもみなかったことが実現した。それからはクラブで並木さんの歓迎内容を検討し、当日に臨んだ。
7月某日、高知空港に並木さんの乗った便が到着した。クラブ総出で、横断幕を用意して今か今かと出てくるのを待っていた。到着ロビーに人があふれ、やがて引けていった。ついにはぱらぱらとなったモノの、並木さんは出てこなかった。ややって、雑誌等で見かけた姿が見えた。聞けば、前日は徹夜で原稿を書いていたらしい。便乗してすぐに気を失い、気がついたのは乗務員に起こされたときだった。とのことで、最後に降りてきた。
それでも横断幕をみて「嬉しい」と言ってくれ、緊張気味のクラブ員に、1人1人丁寧に言葉を掛け、握手をしてくれた。

並木さん・・・敢えて”さん付け”だが、実は大学の3つ下、つまり自分が4年の時の1年であり、上下関係のキツかった母校では、天皇様と奴隷くらいの差があった関係。それでも、この初めての出会いから、その真摯な態度、プロ意識に感化され、尊敬してしまったので、さん付けをするようにした。

今日の予定はこれからボートでキス釣りを楽しんでもらい、夕方からは宴会となっていた。それだけキツイ日程をこなしているなら、もっとゆっくりしてもらったら良かったと後で思いはした。
空港から釣り場に向かう途中、本番の講習場所である十市の池があるので、ちょっと寄り道をした。実際に一目見てもらおうとお思ったのだが、事前には「水草の多いの池」という情報だけを伝えていた。実際畔に立ったときの並木さんと編集部の反応は、「・・・」だった。あとで聞くと、「こんなに凄いベジテーションとは」と思っていたようだ。

そこから半時間ほどで出船し、キス釣りが始まった。この年のキスは絶好調で、それこそ入れ食いになり、チャリコやイイダコも釣れ、楽しいモノになった。

釣りの後はもう一度少し移動し夜の宴会に突入。飛び入りで並木サンファンも来て、結構遅くまで盛り上がってしまった。

翌日、やや寝坊気味で十市の池近くの集合場所に行くと、すでに皆集まっていた。

池の北側から、まずは実釣開始。並木さんは釣りをしているのを見ながらアドバイスをくれる。

それでもなかなか魚は釣れない。梅雨が明けてしまって朝からの猛暑で、魚も口を使ってくれない。そんな中、チビバス1本とライギョが1本だけであった。そうしていると、なにやら並木さんと編集部が慌ただしい、自分も呼ばれ「これから住吉池ですか?隣の池を見に行ってきます。これ僕の携帯です。何かあったら連絡ください」といわれ、編集の携帯を渡された。その足で編集と並木さんは移動。自分たちは残されて十市の池で釣り続行も、魚は釣れなかった。1時間ほどして、並木さんは十市に戻り、皆を集めこう言った。「この1時間、僕は隣の池を見てきました。そしてあっちの方が良いと結論を出しました。ここで提案ですが、あっちの池に移動して釣りを続けるのはどうですか?」と言われ、反対する理由もなく、皆で住吉池に移動。皆が集合したところで、クラブ釣り大会の開始となった。この企画が実現したときに「並木杯釣り大会をしたい」と編集部に掛け合っていたのだ。並木さんも何か賞品を提供してくれるとのこと、皆気合いが入る。

程なくして、次々と魚が釣れだした。並木さんにも来た。そして1時間経ち、釣り大会は終了した。その後、皆を集めてセミナーが始まった。「皆さん、こちらに移動してそこそこ釣れたようですね。良かった。はじめ十市の池を見て、危機感を感じたんです。あの池はベジテーションが豊富で、大物も居ると聞いていたのですが、梅雨の明けた今の時期、良い魚は沖のブレイクにいる。ウイードの中にいるかもしれないが、それが大きすぎてかえって魚が散る。実際釣れたのも、ブレイクが一番岸に寄ったところだ。この池では満足のいく釣りは難しいと思っていたら、隣にもう一つ池があると聞いた。それで行ってみた。底をテキサスで探ると、ハードボトムがあった。底が堅いと言うことは、流れがあり、ブレイクもある。しかもそれが届く範囲に。それにホテイのシェードが絡めば釣れるのではと思ったわけです。案の定、こちらに移ってからポツポツと釣れ出した。ホッとしました。」この見切りの速さ、判断の的確さに一同ビックリした。結局優勝は澤谷になり、並木さんからサイン入りリールが贈られた。

そしてこの様子はBASSER誌に6ページにわたって掲載された。

並木さんと初めてお会いして、バスプロという仕事の難しさや、厳しさを学んだ。そしてその人柄に惚れ込んでしまった。以降、いろいろな場面で交流が続いている。

初めての50アップ

昭和63年11月、就職して半年経ち、やっと念願のマイボートを購入した。何せその頃高知ではレンタルボート屋はなく、リザーバーで釣りをするのは至難の業だった。

学生の頃よりお世話になっていた、町田のプロショップ、キングフィッシャーにお願いして、ジョンボート(LOWE)12フィートと、エレキ(モーターガイドブレイブ18lb)、バッテリー、チャージャー、パドルと1そろえ送ってもらった。40万ほどだった。後に船外機ランカーで購入した。

それからは週末毎にデッキを組んだり、いろいろした。とにかく情報のない時代で、エレキってどう取り付けるの?みたいな状態だった。それでも何度も失敗しながらなんとかかんとか乗れるように組み上げた。

それまでに、何度か十市の池に通い、ランカーでリザーバーの情報も得ていた。

初めてのカートップフィッシングは穴内川ダムに決めた。室戸から国道55線を走り、32号線に入り、根引峠を超えて国道を折れ、くねくねと上るとダムが見えた。結構大きなリザーバーだ。そこからダム湖沿いの道をしばらく走ると、言われたスロープの入り口についた。

ここからはスイッチバック式に降りていき、水面近くで車を停め、ボートを降ろし準備した。

初めてボートに乗り込み、初めてフット式エレキを操船した。意外と簡単に思ったように動かせた。

スロープから上流(右)に向け進んだ。リザーバ特有の急進な地形があり、そこをディープクランクでなめるように引くイメージで進んだ。

しばらく進むと、それまでのガレ場から、赤土のスタンプがたくさんあるところに出た。ルアーはレーベルのファーストラックDR。なぜだかこれをスピニングタックルで引いていた。

船の進行方向斜め前方にキャストして途中スタンプに当てる感じで引いてきた。何度かスタンプを超えたように感じたとき、フッと軽くなりグッと重くなった。合わせると、もの凄い重い引きが来た。寄せてくると、かなりデカい。口なんか完全に拳が入ると思えるほど。恐々ハンドランディングした。デカい!!自己最高に違いない。早速計ってみると、50cm。やった!!ついに50釣ったぞ!!!それはもう1人で大喜び。ココで「キープして剥製にしたい」という気持ちがムクムクと。でも、何だかなぁとも思い、複雑な気持ちでリリース。

その間に風でだいぶ流されていた。もう一度ポジションを取り直し、同じようなコースをトレースしていると、またゴン!と来た。合わせると、さっきよりもずっと強重い引き。寄せてくると、今釣った50より2まわりほどデカい魚体。ハンドランディングして、計ると55cm。スゲー!!2投で50超えが2本。またさんざん迷ったあげく、これは剥製にすることに。入れておくモノがないので、船外機のカバーに魚を入れ、船尾に置いた。魚は暴れることもなく静かにしていた。その後、釣りをしながら何度も何度も魚を見てはニヤニヤ。これくらいの魚になると、下顎の厚さがすばらしい。何度も手に持って喜んだ。

その日はそのストレッチで40を1本追加したのみで終了。ってかその後は何が何だかわからない状態。当然集中もできず、早めに終了。

持ち帰った魚は、早速キングフィッシャーに連絡して、剥製にしてもらう手続きをとった。ちなみに料金は1cmあたり900円+額台。送料を含めて約60000円となった。今でも我が家のリビングにデンとしており、見る度にそのことを思い出す。

 

初めて釣ったブルーギル

ブルーギルという魚が居ると初めて聞いたとき、なんてカッコイイ名前の魚なんだ!と感動したことを覚えている。今のように害魚、外道扱いされるずっと以前の話。
そして、ブルーギルが釣れるのは、当時、伊豆の一碧湖と、宮崎の御池、鹿児島の薩摩湖等、限られたところという印象だった。それくらい情報もなかった。
家族旅行で伊豆に行ったときに一碧湖で挑戦してみたが、釣れなかった。

高校2年の夏、仲良かった仲間と「青春18切符」を使って九州を1周しようという旅行企画が盛り上がり、ついには実現してしまった。その中で、どうしても薩摩湖に行きたい自分はその日だけ単独行動をとって、薩摩湖畔に立った。薩摩湖は池かと思うくらい小さな湖で、ほぼ1周歩くことができた。バス狙いであちこちして、1カ所だけ、魚が水面まで浮いてきたが、それ以外は何の反応もなく、半分諦めていた。湖畔に座りながら、水面をボ~~~っと眺めていると、ポチュッと水面が割れた。何だろう、近くをよく見ると、なんだか青白いヒレの魚がフラフラ泳いでいる。「もしかしてブルーギル?」と思うと、居ても立っても居られなくなり、でも、魚のサイズが小さいのでルアーでは無理と判断し、ウキと袖針と、カミツブシを見つけ出し、ルアータックルの先に結んだ。餌は、近くを掘ると運良くミミズが出てきた。これを小さく切って針に刺し、少しキャストした。ウキが馴染んですぐ、ス~~~ッと引き込まれた。竿を立てると、ククッと小気味よい引きが来て、キャッチ。見ると、ブルーギルだった。「やったやった!ブルーギル釣ったぞ!!」と、今では考えられないリアクションだった。その後入れ食い、ミミズがなくなるまで10数枚釣った。それくらい釣ると、簡単に釣れるだけに、さすがに飽きた。

30年を経て、薩摩湖を訪れてみると・・・写真だけ。

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中身はまたの機会に書きます

初めてルアーで釣った魚

初めてシリーズ第2弾

小学校高学年でルアー釣りの魅力に取り憑かれ、月一でルアーも集めだし、小さなタックルボックスもクリスマスプレゼントでおねだりして、ボックスの6割くらいが埋まった頃、中学生になった。
”ルアー釣り秘訣集”には巻末に釣り場案内も出ており、町田から近いところでは相模湖・津久井湖・震生湖・芦ノ湖と載っていた。対象魚として、ブラックバス、ナマズ、芦ノ湖ではそれに加えてニジマス、ブラウントラウト、ホンマスとあった。ナマズが釣りたい釣りたいと思い続けてはいるものの、中学生になり、違った小学校から来た友達も増え、また、雑誌などで取り上げられることが多かったブラックバスがターゲットナンバー1になっていた。
相模湖には、横浜線で八王子まで行き、そこから中央線で相模湖駅下車と書いてあった。津久井湖は横浜線橋本駅下車、バスで北根小屋等で下車と書いてあった。芦ノ湖には町田から小田急線で小田原に行き、そこからバスか、箱根線で箱根湯本まで行き、そこからバスとあった。町田から行くには、震生湖が、一番単純だった。小田急線で大秦野まで行き、あとは歩くかバスと書いてあった。一番行ってみたいのは芦ノ湖だが、入漁料も要るし、少し遠いので、震生湖に行くことに決めた。

小田急線新原町田には急行が止まり、急行に乗ると大秦野まで1時間弱でついた。駅を出ると、バスターミナルがあったが、歩いて行けるなら歩こうと、駅前の店で道を聞いた。店の人は「歩けなくはないけど、バスの方が・・・」と言いながら道を教えてくれた。

歩き出すとすぐに川を渡る橋に出た。橋から覗くと錦鯉のデカイのがうようよ泳いでいた。そこでいきなりこれを狙ってみることにした。一番はじめに買った赤白スプーンを結び、投げた。何投目か、グンッ!というアタリと共に、何かがヒットした。それはもの凄い引きで暴れ回った。少しすると、水面に出てバチャバチャやり出した。赤白の50cmはありそうな錦鯉だった。その騒ぎを見て人が集まってきて、中の一人に「ココの鯉は飼ってるから釣っちゃダメだ!!」と怒られた。・・・と言われても、ファイト中にどうしようもない。そうこうしているうちにプンッとルアーが外れた。針が伸びていた。おじさんには少し怒られ、「すみません知りませんでした」と言って反省しつつ、震生湖を目指した。これがルアーで初めて掛けた魚だった。強烈すぎる。

駅から小一時間歩き、畑の中の道を上り、少し下ってくると、森の中に「池」のような震生湖があった。関東大震災の時に川を堰き止められてできたので、そう呼ばれているらしい。まわりには遊歩道があり、静かな感じがした。畔には1件だけボート屋兼雑貨を売っている店があった。大きさは周囲1キロもないだろうか。とりあえず情報収集に、店に行ってみた。少し話をして、パンを買ったら、すいていたせいか、「桟橋で釣ってもイイよ」と言ってくれた。

桟橋に上がると、湖の半分ほどが見渡せた。湖面に向かい、右手は開けており、左手手前にはブッシュ、奥にはそれこそ教科書通りの立木があった。当然左を攻めてみる。ルアーは、雑誌「釣り人」の鹿児島大学釣り研が出した釣れるルアー統計の第2位、ホテントット紫カラー。第1位はレーベルファーストバックDRの紫だったが、吉田釣具店には売っていなかった。ホッテントットを立木めがけてフルキャストし、リールをグリグリッと巻くと、もの凄い抵抗とブルブルッという感覚が伝わり、あっという間にルアーは見えなくなった。あまり沈めて引っ掛かったらヤだなと思い、しばらく巻くのを止めた。ゆっくりゆっくり紫のホッテントットがお尻を先に浮いてきて、水面にポツンと出た。またグリグリッと巻いて浮かせる。何度か繰り返し、もうほとんど手前、ブッシュの横を通過し浮いてきたくらいのタイミングで、ルアーの斜め下側に何か影が見えた。大きさは20cmくらい。尻尾と思われる部分の先っちょが黒くなっていた。ホッテントットはまた水面に出た。陰ももっと近づいてきた。「バスだ!」思わず叫んだ。初めて見る生バスだった。友達の間でもまだバスを釣った者はいなかったし、生きているバスを見たり触ったりもしていない。ホッテントットを浮かせたままにしておくとバスはもう少し近づきルアーをよく見た後、沈んでいった。嗚呼嗚呼~~~~

その後何度か同コースを引いてみたモノの反応はそれきりだった。

ルアーを代えようと、タックルボックスを見た。一番上のトレーに、最近買った2匹100円のカエルルアーが見えた。緑で小さなモノだった。今日に備えて、針を仕込んできていた。

それを取り出し、思い切ってブッシュに投げ込んでみた。カエルは着水と同時にゆっくり沈み、ピッピと引くとやや浮いて水面近くに来た。それを追うように下からバスの魚影が2つ現れた。そこでカエルを沈めるとそれを追うように沈んでいった。またピッピと引くと、次はもうついてこなかった。嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼~~~~

それきりそこでの反応はなくなり、店の人にコーフン気味に話をしてからお礼を言って、桟橋を降りた。そこから遊歩道を歩きながら釣りをしたが、その日はそれ以降何もなかった。

これが、私のバスとのファーストコンタクトになった。

 

その年の夏(中1の夏)、友人が、「相模川のジャリ穴にもバスが居る。」という情報を持ってきた。1週間後、相模川攻撃隊が編成され、昭和橋に向かっていた。自転車で。

町田から相模川までは自転車で1時間ほど、昭和橋に着いた。相模川の(津久井湖の下流ではあるが)上流部にあたるが、川幅は広く、橋も大きかった。橋の対岸にはジャリ穴ではなく、ワンドがあった。ワンドに降りていくと、丁度ルアーマンが居た。その頃ルアー釣りをしている人をそう呼ぶことが多かった。バス釣り、トラウト釣りという区分がそれほどあったわけではなかった。

ルアーマン氏は大きな両開きの(アムコの)タックルボックス一杯にプラグを入れていた。うわ!スゲ~~~!!ルアーマン氏にお願いして、タックルボックスの中身を見せてもらった。あこがれのルアーが山盛りのボックスを見て、「いつかは俺もこんなになりたい」と思った。ルアーマン氏はブローニングのロッドミッチェルのリールに、ガルシアフロッグを付けて、ワンドの対岸に浮いている木を狙って投げた。ポトンと落ちて、ス~ス~っと正に蛙が泳ぐように引いてくると、下から、震生湖のとは2まわり以上大きいバスっぽい陰が複数浮いてきた。ルアーの真下まで来たモノの、結局は食わず、反応はなくなった。

その日、自分たちが釣りをしたのか、その記憶はない。それでもルアーマン氏のことは今でも覚えている。それだけ衝撃が強かったのだろう。

相模川にバスが居るということは、バスがより近くに来たと感じさせた。何せ、自転車で行けるのだから。それから1夏の間に何度か場所も変えながら相模川に攻撃隊は出撃したモノの、釣ることはできなかった。ただ、夏の終わりにいった田名のジャリ穴では、死にかけのバスを捕獲し、初めて生きたバスに触ることができた。

 

その頃、バスは冬には釣れないといわれていた。深いところで冬眠状態で、餌は食わない・・・と。だから、秋が終わるとバスシーズンは終わりだった。

 

通っていた薬師中学校では2年生が林間学校に行くことになっていた。行き先は山中湖。ちょうどその春頃より釣り雑誌には富士五湖でバスが釣れるという特集が組まれ出した。そして山中湖でも、平野ワンドでバスが釣れると書いてあった。林間学校の宿を見ると正に平野ワンドに面したところであった。「やるっきゃないでしょ」って事で、雑誌に書いてあったヒットルアーをコツコツと買い集めることにした。中学になり、新聞配達のアルバイトをしていたので、ルアーを少しは買えるようになっていた。

ヒットルアーナンバー1は、セルタ、2g。メップス・アグリアブレットンなどの小型スピナー。中でもセルタが抜群と書いてあった。それらをいくつか買い、林間学校に臨んだ。

2日目の早朝、いつものメンバーは平野ワンドに立った。数メートル間隔に開き、思い思いにルアーを投げた。その頃の平野ワンドは、ほぼ水面までウイードが覆い、少しでも沈めると藻が掛かった。初めのうちはその藻が掛かったのをバスのヒットと勘違いし、思いっきり合わせ、ロストを繰り返した。とうとう最後のスピナーが無くなった。その頃友達は、セルタで、ファーストバスをキャッチしていた。それもほぼ全員。釣れてないのは自分だけ、しかもスピナーもなくなっちゃった。ヤバイ。で、タックルボックスを見て考えた。釣れていたバスはどれも小さく、15cmほど。ならば大きなルアーはダメだ。そこで目に止まったのは背中が緑で腹が黄色のヘドンタイガーカップ。それを結び、藻の切れ目にキャスト。グリグリッと潜らせ、フラフラッと浮かせる。グリグリ、フラフラ、グリグリ、フラフラ バチャ!水面が割れた。

何が何だかわからない。でもたぶんタイガーに魚が出たのだろう。そこでなぜだか一呼吸置いて合わせた。グッと重みが掛かり、乗った。それからは無我夢中で取り込んだ。ファーストバスだ!!しかもプラグで釣った。トップ状態で釣った。友達のより大きかった!!

もう嬉しくて嬉しくて。大事に大事にストリンガーに通した。リリースなんて考えない。持って帰って自慢しなきゃ。その思いで宿に無理を言って冷蔵庫に入れさせてもらった。

今思うと、トップのアワセが自然にできていた。その一呼吸は神様が知らせてくれたのか?自然にできていた。

バスは帰宅後、魚拓にとり、塩焼きにして供養した。おいしかった。

そのタイガーカップ(タイガーカブという言い方もあるが、その頃はカップと呼ばれていた)は今でも手元にあり、時折ニヤケを誘っている。

 

初めての・・・ルアー

しばらく釣りに行けそうにないので、釣りに関する“初めて”について書いていきます。

初めてのルアー
小学校3年で大阪・堺から東京の町田に転校した。堺に比べ町田には自然がたくさん残っていた。堺にいた頃に始めていた釣りも、釣り場が多く拍車が掛かった。
町田の住居は公団団地で、団地内の本屋でふと目に止まったのが、井上博司著「ルアーづり秘訣集」だった。その頃、なぜだかナマズに惹かれ、ナマズを釣りたくて仕方がなかった。秘訣集には対象魚別の狙い方や適したルアーも記されていた。それによると、ナマズは暗いところを好むため、“ヒカリモノ”が良い、とのことであった。
その頃町田は、小田急線と横浜線が乗り入れており、横浜線の駅名が原町田、小田急線は新原町田となっていた。新原町田駅にほど近い場所に「吉田釣具店」があり、母親の買い物に連れて行ってもらっては、その店を覗いていた。店は小さな作りで、餌釣りの道具と少しのルアーを置いていた。中年の女性姉妹がやっており、釣具店としては珍しかった。古き良きたたずまいと、常連客、ヘラブナの餌のにおいのする釣具店であった。そこで母親と約束をして、「良い子で居たら、月1つルアーを買ってもらえる」事になった。我が家はその日食べるものに困るほどではなかったが、決して裕福な方ではなく、当時でも1つ1000円以上するルアーは、小学生にはおいそれと手の出る品物ではなかった。月一ルアーが決まってからは、秘訣集がすり切れるほど読み、どれを買うかを楽しみにしていた。

いざ、その日、吉田釣具店のウインドウを覗くと、プラグ、スプーン、スピナーが並べられていた。ナマズが釣りたい=ヒカリモノ=スプーンという図式ができあがっていたので、特にスプーンを入念にサーチした。アブのトビーアトムダーデブル

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クサモンダイワオリムピックのセット・・・

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どれも魅力的ではあるが、ダイワ意外は値段も良い。でも、今のところダーデブルの赤白の曲線が一番かなぁと、さんざん迷ってふと顔を上げると、壁に掛かったいわゆる安物ルアーが目に入った。色はダーデブルと一緒の赤白。我が家の経済状況を何となく知っている自分としては、あまり高いものを買ってはマズイという、何となくひねくれた思考回路(チキンライスの歌詞がズバリ当てはまる)もあり、釣具屋のオネイサンに、指を差して、「これでもナマズ釣れますか?」と恐る恐る聞いた。「これね?」と言って手に取らせてくれた其れは、裏返すと、銀色の“ヒカリモノ”であった。「釣れると思うわ」という後押しもあり、生涯初ルアーは名もない赤白スプーンとなった。

初めての・・・

年がら年中釣りに行ってますと、釣り納めや釣り初めといったモノをいつにするのか、またわざわざそ う思う必要があるのかと考えます。
しかし、昨年(2015年)は、強制的に釣り納めとなりました。

12月30日、朝、いつものように裏戸湾に様子を見に行く。潮は上げ、もうすぐ満潮になろうしており、普通の足場は水没。やや高い、それで、可能性のある場所に入る。気温は昨日に比べかなり下がって いる。昨日(29日)にもここに来て、エバを1つ釣っていた。

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ルアーはオーバーライド。「気温も低いし、やや沈めて・・・」とまたオーバーライドで底を小突く。何度かやってみるも、反応無く、ならばと、トップ(ヤマトJr)に代えて沖目を狙ってみる。潮は右から左に流れている。正面に投げ、やや流されながら、パチョン・パチョンと引いてくる。とりあえずチヌ狙いのイメージ。パチョンパチョンバショ!!
出た!チヌだと思い、合わせずそのままにしておくと、グ~~~っと引き込まれた。「1発で乗るなん て!」ややビックリしながら寄せに掛かると、いきなりジャンプ!「チヌじゃないじゃん、シーバスだぁ」 それでもそれほど大きなサイズではなく、寄せてきてキャッチ。あまり期待してなかっただけに嬉し い。

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もう1投すると、また出た!でも乗らない。出た!また乗らない。今思うとこれが地獄の誘いだった。
出たところは、先ほどのシーバスの場所より左岸奥寄り。次の1投、出ない。もっと奥まで入れた次の1投、出た!乗らない。その後反応は途切れ、奥側に移動することに。
階段を上がり、堤防の上を歩く。普段もそうしており、別段何ともない感覚。目は、魚を探しながらやや遠くを見ていたら、スカッ!と、足を踏み外した。
その後は何かにつかまれるわけでなく、気付いたときは「浮いてる、落ちてる」的。そのまま地面に ドン!地面は拳大の石が敷き詰められている。右半身を下に落ちた。意識はある。落ちた瞬間は息ができない。「昔鉄棒から落ちたのと同じだ。しばらくすれば回復する」とわりと冷静。30秒ほどだろうか、息ができるようになった。手は動くのか腕は・・・手も腕も動く、折れてない。背中が痛い。仰向けに寝てみると、余計に痛い。また横向きになり周囲を見渡してみると、もうすぐ潮がここまで来そうな水位、ヒップバッグに入れていたルアーは落下の衝撃で散らばっている。「これをタックルボックスに入れるのはしんどいな」と思っていると、近くに発泡スチロールの適度な大きさの箱を発見し、それに入れようと、取りに歩く。足も痛いが、何とか歩ける。拾って戻り、ルアーをかき集め、「水が来る前に」と階段を上る。結構キツイ。階段を上りきってそこに腰を下ろすと足下にロッドがあり、折れていない。しばらくその体勢で座ったまま居る。徐々に痛みが増してくる感じ。このままいたらここで動けなくなると思い、車まで移動する。なんとか車までたどり着き、座って、リクライニングしてみる。しかし余計に痛い。席を直立に戻し、しばらくそのままでいる。痛みは増してくる。救急車を呼ぶか、病院に行くか、うちに帰るか、いろいろ考えを巡らせる。一番怖いのは、病院に行って、入院させられて、船に乗れなくなること。年末だし、外科もあまり思い浮かばないし、救急病院も変なところ連れて行かれちゃったら困るし・・・うちに帰って、しばらくしたら治るかも・・・で、動けるうちに車で家に帰ることに。右手はまともに動かないので、あまりカーブのない道で帰ろうとゆっくり発車させる。道の凸凹による振動も痛い。曲がるときに振り返ることができない、ミラーで慎重に確認し曲がろうとするが、ハンドルを回すと痛い。ゆっくりゆっくりソロソロ帰る。幸い年末の早い時間帯なので、車は少なく、わりと自分のペースで走らせられる。いつもより遅いペースで帰宅。車から降りるのが大変。ゆっくりゆっくり体の方向転換をし降りる。家に入って、さぁ、どこに落ち着くか・・・とりあえず自室のリクライニングチェアに腰掛けてみる。普段ならイイ感じのチェアも、やや深く、痛みが走るモノの、体勢変換もできない。そのまましばらく居ると、痛みが薄らいできた。テレビを付けようとするが、リモコンに届かない。エアコンのコントローラーにも届かない。服装は出かけたまま。トイレにも行きたいし、咽も渇いた。いろいろな欲望が出るが、動けない。体を起こそうとするが、とにかくちょっとでも動くと痛みが走る。息が切れる。で、激しい呼吸をすると、また痛い。でも、とにかく立ち上がって、することしないとダメだ。本当にスローに、少しずつ、なるべく痛みを感じないようにユルユルとまずは深く腰掛けていた状態から、体を起こす。痛いのを我慢して何とか起こした。ここでまた呼吸を整える。汗がダラダラ出てくる。ここから立ち上がるにも、何かに掴まらないとできない。障子の桟に指をかけ、ユルユルと立ち上がる。ふぅ!立ち上がってしまえば痛みは少しマシだ。まずは2重に履いていたズボンの1枚を脱ぐ。これも激痛との戦い。トイレに行き、水を少し飲む。できるだけ動かずにすむように、コップに水を入れ部屋に戻る。エアコンを付け、テレビを付ける。チェアの腰の部分に枕を入れ、深く腰掛けずに済むようにする。テレビは年末番組をやっていた。またチェアに腰掛けようとするが、痛い。何とか体を沈めて安静にする。ここでSNSに報告する。すると、友達からは、「とにかく病院に行け」という励ましレスが多く来る。この段階でも恐れていたのは、「骨折→入院→船に乗れない」事で、とにかくもう少し様子を見てみようと思っていた。

食欲はなく、昼食は席に着いたモノの吐き気が来て食べられない。この年末になんと情けないことか。と思うモノの、どうしようもない。結局昼食時に立ち上がった以外ずっとチェアに沈んだ状態で過ごした。

夕方になり、少し食欲が出たモノの、結局はシリアルを少しかじっただけ。夜になって、布団に横になるも、痛くて体勢がとれない。まず仰向けは絶対無理。左を下にコーマの姿勢をとってみるモノの痛い。しかも、一旦寝てしまうと、立ち上がれない。1時間ほどもがいて、やっと立ち上がった。こんな時に何かあったらそのまま死んでしまうと変な覚悟が生まれた。仕方がないので、布団や毛布、枕を組み合わせ、チェアに寝床を作った。これも痛い痛い。それでも何とか寝る体勢が作れたので、夜中に咽が渇いてはいけないので、枕元に水を置き、寝てみる。体を沈める瞬間は痛みが走るが、しばらくすると薄らぎ、そのまま少し寝た気がした。痛みでパッと目が覚めると、2時間ほど経っていた。それからは寝る起きるを2時間間隔ほどで繰り返し、朝になった。

1晩経ってみて、痛みはなくなるどころか、少し増した感じもあり、SNSからはちゃんと病院行けという励ましもますます届いており、病院に行くことを決意。ネットで、「高知市・外科・担当医」と検索し、担当医を紹介してくれるサイトを見つけ、電話してみる。「たぶんオネイサンが出てくれる」と期待したモノの、男性の少し冷たそうな声で「どうしました?」と聞かれ、事情を説明し、「検索するので少しお待ちください」「○○外科、○○外科がありますが、どこがイイですか?」と聞かれたので、「○○外科」(以前一度痛風で診てもらった高知市内では大きな整形外科)とこたえると、「少しそのままお待ちください、今受け入れを聞いてみます」「今立て込んでいて、受け入れできないそうです」と言われ、「では次の○○整形脳神経外科をお願いします」この段階でももう藁にもすがる気分。「今は混んでいるので1時間後くらいに行けますか?」「行けると思います」「思いますというのは?」「車が運転できたら・・・・です」「・・・では困るんですが・・・」「なら行きます、なんとしても」「では病院にお伝えします」「ありがとうございます」で、行くことになりました。でも、なんか冷たい対応だったなぁと思いながら、支度をする。昨日だいぶ汗をかいたので、下着を取り替えたい(風呂に入っていない)が、Tシャツを脱ぐのが大変。何とか着替えて、車に乗り込むのが大変。ドアを閉めるのも大変。バックでは後ろをミラーでしか確認できない。それでもユルユルと出発。なるべく広くて、車が少なくて、凹凸の少ない道を選びゆっくりと行く。地図で確かめたが、始めて行く病院で、こんな時なので、道を迷いたくない。一番確実そうな道を選び、行くと、うまい具合に駐車場の前に出た。車はほとんど停まっていない。そこからすぐに夜間入り口があるが、とりあえず昼間だし、正面玄関まで行くと、「夜間通用口に行ってください」と書かれてあった。痛いのに無駄な動きをしてしまった。夜間通用口から入ると、受付らしいところが見当たらない。車いすを押している看護師風の人に聞くと、ここに居てください。今行ってきます。お名前は?と、きれいに対応してくれた。しばらくその前にいるが、座ると立ち上がるのがしんどいので、立ったまま。

呼び出され、問診で状況を説明する。とにかくという事で、レントゲンを撮る。正面とやや斜めで撮るが、その姿勢も辛い。取り終わり、また待っていると、先生が前を通る。次々と急患がやってきている。1度目、「何本か折れてる・・・」と言ってだけ通り過ぎる。2度目、診察室に戻りながら「四本は折れてる」と言って通り過ぎる。また診察室に呼ばれ入ると、「写っているだけで四本、ココとココと・・・」「折れてるとなると、骨はそのままでもいいけど、肺が心配。CT撮らせてください」

50年以上生きてきて、初めて“骨折”をした。しかもタイミング的に最悪。嗚呼情けない。

CT室に移動して、ベッドに横になってと言われるが、これがなかなかしんどい。しかも、手を頭の上に伸ばしてって・・・これがたまらなく痛い。痛みに耐えながら約5分。何とか終了し、また診察室に呼ばれ、「今のところ気胸はないし、出血もない」と言われ一安心。ここで、「もうちょっとしたら船に乗るのですが・・・大丈夫・・・ですよね?」「どこへ、どれくらい?」

「遠洋へ、2月」「・・・・ま、100%大丈夫とは言えないけど、この状態なら乗れなくはない。ただ・・・・はっきり言って使い物にならないでしょ?こんな状態じゃ。そこらは上司と相談してください。次3日にもう一回診て、判断しましょう」ということになった。

一番ヤバイ入院はなかった。痛み止めと湿布とコルセットをもらい帰宅。帰宅し、痛み止めを飲むと、多少なりとも痛みは和らいだように思えた。

そのまま年は暮れ、新年となった。元旦、痛みは多少おさまった気がするが、それでも痛い。結局1日チェアでテレビ三昧。一度だけ外出、初詣に神社に行ったきり。

2日、この日は朝からクラブのOB新年会。暗いうちから出発し、集合場所へ。痛いけど何とか運転できる感じ。しばらくすると皆集まって、久しぶりの顔合わせ。その後釣りたい者は釣りをし、しない者は見ていると、ニゴイとバスが釣れた。暖かいとはいえ、なかなかイイ感じ。一通り釣ると、することもなくなったのが釣り終了。みんなでハンバーガー屋へ移動。セットを頼みダラダラ過ごす。昼過ぎ、そろそろ鎮痛剤の効き目が薄れてきて、痛み出したくらいにお開き。ま、皆さん、それぞれの分野で活躍しているようで良かった良かった。

3日、朝から病院。行ってみると、前回とは違う雰囲気。先生も違い、また一から状況を説明。レントゲンを撮って、気胸や出血はなし。7日に、もう一度この前の先生に診てもらうことに。

4日、病院の診察結果を持って、職場で相談。日に日に良くなってはいるものの、まだ布団でまっすぐ寝れない、気胸と出血はとりあえず心配ない、1ヶ月ほどで痛みはなくなる等の話をし、検討の結果、今回の乗船は見送ることにし、陸勤務が決まり。

5日、船の部屋を空けるために船に出勤。結構手こずると思っていたが、意外とすんなりまとまり、掃除もして、部屋が空になった。なんだか寂しい気分。ただ、荷物の上げ下ろしをしたために、痛みは多少増した感じ。午後からは家で静養。

6日、1日静養。

7日、午前中病院。レントゲンとCTを撮って、診てもらう。肺に少し血が溜まっているものの、想定内というか、四本も折れている割に少ないらしい。折れたときのズレが小さかったので少ないのか?とりあえず気胸もない。次は2月に入り診せるとのことで病院終了。2週間分の痛み止めをもらった。

午後は船の仕事の引き継ぎをして、終了。帰り際に現場に行ってみる。合う人合う人に聞かれるので、落ちた高さを測ってみる。メジャーを伸ばすと・・・・・・・・4m。結構な高さでした。

8日、陸勤開始。1日疲れた。

9日、乗船の日、引き継ぎ忘れ等をチェックしに船へ。

11日、船が出港。見送るより送られる方がいいなぁと思った。

今思うと、落ちたことはアンラッキーではあるものの、落ち方、落ちたあとの怪我の具合は本当にラッキーでした。よくこれくらいで済んだなと思えるくらい。頭から落ちていたら死んでたかも。落ちた場所がフラットでなく突起があってももっと大けがになっていたはず。そして、あばら四本で済むくらい丈夫に生んでくれた両親にも感謝。強制的釣り納めと強制的初釣りお預けとなりましたが、暫くは養生して、完璧に治したいと思います。