初めての・・・

年がら年中釣りに行ってますと、釣り納めや釣り初めといったモノをいつにするのか、またわざわざそ う思う必要があるのかと考えます。
しかし、昨年(2015年)は、強制的に釣り納めとなりました。

12月30日、朝、いつものように裏戸湾に様子を見に行く。潮は上げ、もうすぐ満潮になろうしており、普通の足場は水没。やや高い、それで、可能性のある場所に入る。気温は昨日に比べかなり下がって いる。昨日(29日)にもここに来て、エバを1つ釣っていた。

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ルアーはオーバーライド。「気温も低いし、やや沈めて・・・」とまたオーバーライドで底を小突く。何度かやってみるも、反応無く、ならばと、トップ(ヤマトJr)に代えて沖目を狙ってみる。潮は右から左に流れている。正面に投げ、やや流されながら、パチョン・パチョンと引いてくる。とりあえずチヌ狙いのイメージ。パチョンパチョンバショ!!
出た!チヌだと思い、合わせずそのままにしておくと、グ~~~っと引き込まれた。「1発で乗るなん て!」ややビックリしながら寄せに掛かると、いきなりジャンプ!「チヌじゃないじゃん、シーバスだぁ」 それでもそれほど大きなサイズではなく、寄せてきてキャッチ。あまり期待してなかっただけに嬉し い。

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もう1投すると、また出た!でも乗らない。出た!また乗らない。今思うとこれが地獄の誘いだった。
出たところは、先ほどのシーバスの場所より左岸奥寄り。次の1投、出ない。もっと奥まで入れた次の1投、出た!乗らない。その後反応は途切れ、奥側に移動することに。
階段を上がり、堤防の上を歩く。普段もそうしており、別段何ともない感覚。目は、魚を探しながらやや遠くを見ていたら、スカッ!と、足を踏み外した。
その後は何かにつかまれるわけでなく、気付いたときは「浮いてる、落ちてる」的。そのまま地面に ドン!地面は拳大の石が敷き詰められている。右半身を下に落ちた。意識はある。落ちた瞬間は息ができない。「昔鉄棒から落ちたのと同じだ。しばらくすれば回復する」とわりと冷静。30秒ほどだろうか、息ができるようになった。手は動くのか腕は・・・手も腕も動く、折れてない。背中が痛い。仰向けに寝てみると、余計に痛い。また横向きになり周囲を見渡してみると、もうすぐ潮がここまで来そうな水位、ヒップバッグに入れていたルアーは落下の衝撃で散らばっている。「これをタックルボックスに入れるのはしんどいな」と思っていると、近くに発泡スチロールの適度な大きさの箱を発見し、それに入れようと、取りに歩く。足も痛いが、何とか歩ける。拾って戻り、ルアーをかき集め、「水が来る前に」と階段を上る。結構キツイ。階段を上りきってそこに腰を下ろすと足下にロッドがあり、折れていない。しばらくその体勢で座ったまま居る。徐々に痛みが増してくる感じ。このままいたらここで動けなくなると思い、車まで移動する。なんとか車までたどり着き、座って、リクライニングしてみる。しかし余計に痛い。席を直立に戻し、しばらくそのままでいる。痛みは増してくる。救急車を呼ぶか、病院に行くか、うちに帰るか、いろいろ考えを巡らせる。一番怖いのは、病院に行って、入院させられて、船に乗れなくなること。年末だし、外科もあまり思い浮かばないし、救急病院も変なところ連れて行かれちゃったら困るし・・・うちに帰って、しばらくしたら治るかも・・・で、動けるうちに車で家に帰ることに。右手はまともに動かないので、あまりカーブのない道で帰ろうとゆっくり発車させる。道の凸凹による振動も痛い。曲がるときに振り返ることができない、ミラーで慎重に確認し曲がろうとするが、ハンドルを回すと痛い。ゆっくりゆっくりソロソロ帰る。幸い年末の早い時間帯なので、車は少なく、わりと自分のペースで走らせられる。いつもより遅いペースで帰宅。車から降りるのが大変。ゆっくりゆっくり体の方向転換をし降りる。家に入って、さぁ、どこに落ち着くか・・・とりあえず自室のリクライニングチェアに腰掛けてみる。普段ならイイ感じのチェアも、やや深く、痛みが走るモノの、体勢変換もできない。そのまましばらく居ると、痛みが薄らいできた。テレビを付けようとするが、リモコンに届かない。エアコンのコントローラーにも届かない。服装は出かけたまま。トイレにも行きたいし、咽も渇いた。いろいろな欲望が出るが、動けない。体を起こそうとするが、とにかくちょっとでも動くと痛みが走る。息が切れる。で、激しい呼吸をすると、また痛い。でも、とにかく立ち上がって、することしないとダメだ。本当にスローに、少しずつ、なるべく痛みを感じないようにユルユルとまずは深く腰掛けていた状態から、体を起こす。痛いのを我慢して何とか起こした。ここでまた呼吸を整える。汗がダラダラ出てくる。ここから立ち上がるにも、何かに掴まらないとできない。障子の桟に指をかけ、ユルユルと立ち上がる。ふぅ!立ち上がってしまえば痛みは少しマシだ。まずは2重に履いていたズボンの1枚を脱ぐ。これも激痛との戦い。トイレに行き、水を少し飲む。できるだけ動かずにすむように、コップに水を入れ部屋に戻る。エアコンを付け、テレビを付ける。チェアの腰の部分に枕を入れ、深く腰掛けずに済むようにする。テレビは年末番組をやっていた。またチェアに腰掛けようとするが、痛い。何とか体を沈めて安静にする。ここでSNSに報告する。すると、友達からは、「とにかく病院に行け」という励ましレスが多く来る。この段階でも恐れていたのは、「骨折→入院→船に乗れない」事で、とにかくもう少し様子を見てみようと思っていた。

食欲はなく、昼食は席に着いたモノの吐き気が来て食べられない。この年末になんと情けないことか。と思うモノの、どうしようもない。結局昼食時に立ち上がった以外ずっとチェアに沈んだ状態で過ごした。

夕方になり、少し食欲が出たモノの、結局はシリアルを少しかじっただけ。夜になって、布団に横になるも、痛くて体勢がとれない。まず仰向けは絶対無理。左を下にコーマの姿勢をとってみるモノの痛い。しかも、一旦寝てしまうと、立ち上がれない。1時間ほどもがいて、やっと立ち上がった。こんな時に何かあったらそのまま死んでしまうと変な覚悟が生まれた。仕方がないので、布団や毛布、枕を組み合わせ、チェアに寝床を作った。これも痛い痛い。それでも何とか寝る体勢が作れたので、夜中に咽が渇いてはいけないので、枕元に水を置き、寝てみる。体を沈める瞬間は痛みが走るが、しばらくすると薄らぎ、そのまま少し寝た気がした。痛みでパッと目が覚めると、2時間ほど経っていた。それからは寝る起きるを2時間間隔ほどで繰り返し、朝になった。

1晩経ってみて、痛みはなくなるどころか、少し増した感じもあり、SNSからはちゃんと病院行けという励ましもますます届いており、病院に行くことを決意。ネットで、「高知市・外科・担当医」と検索し、担当医を紹介してくれるサイトを見つけ、電話してみる。「たぶんオネイサンが出てくれる」と期待したモノの、男性の少し冷たそうな声で「どうしました?」と聞かれ、事情を説明し、「検索するので少しお待ちください」「○○外科、○○外科がありますが、どこがイイですか?」と聞かれたので、「○○外科」(以前一度痛風で診てもらった高知市内では大きな整形外科)とこたえると、「少しそのままお待ちください、今受け入れを聞いてみます」「今立て込んでいて、受け入れできないそうです」と言われ、「では次の○○整形脳神経外科をお願いします」この段階でももう藁にもすがる気分。「今は混んでいるので1時間後くらいに行けますか?」「行けると思います」「思いますというのは?」「車が運転できたら・・・・です」「・・・では困るんですが・・・」「なら行きます、なんとしても」「では病院にお伝えします」「ありがとうございます」で、行くことになりました。でも、なんか冷たい対応だったなぁと思いながら、支度をする。昨日だいぶ汗をかいたので、下着を取り替えたい(風呂に入っていない)が、Tシャツを脱ぐのが大変。何とか着替えて、車に乗り込むのが大変。ドアを閉めるのも大変。バックでは後ろをミラーでしか確認できない。それでもユルユルと出発。なるべく広くて、車が少なくて、凹凸の少ない道を選びゆっくりと行く。地図で確かめたが、始めて行く病院で、こんな時なので、道を迷いたくない。一番確実そうな道を選び、行くと、うまい具合に駐車場の前に出た。車はほとんど停まっていない。そこからすぐに夜間入り口があるが、とりあえず昼間だし、正面玄関まで行くと、「夜間通用口に行ってください」と書かれてあった。痛いのに無駄な動きをしてしまった。夜間通用口から入ると、受付らしいところが見当たらない。車いすを押している看護師風の人に聞くと、ここに居てください。今行ってきます。お名前は?と、きれいに対応してくれた。しばらくその前にいるが、座ると立ち上がるのがしんどいので、立ったまま。

呼び出され、問診で状況を説明する。とにかくという事で、レントゲンを撮る。正面とやや斜めで撮るが、その姿勢も辛い。取り終わり、また待っていると、先生が前を通る。次々と急患がやってきている。1度目、「何本か折れてる・・・」と言ってだけ通り過ぎる。2度目、診察室に戻りながら「四本は折れてる」と言って通り過ぎる。また診察室に呼ばれ入ると、「写っているだけで四本、ココとココと・・・」「折れてるとなると、骨はそのままでもいいけど、肺が心配。CT撮らせてください」

50年以上生きてきて、初めて“骨折”をした。しかもタイミング的に最悪。嗚呼情けない。

CT室に移動して、ベッドに横になってと言われるが、これがなかなかしんどい。しかも、手を頭の上に伸ばしてって・・・これがたまらなく痛い。痛みに耐えながら約5分。何とか終了し、また診察室に呼ばれ、「今のところ気胸はないし、出血もない」と言われ一安心。ここで、「もうちょっとしたら船に乗るのですが・・・大丈夫・・・ですよね?」「どこへ、どれくらい?」

「遠洋へ、2月」「・・・・ま、100%大丈夫とは言えないけど、この状態なら乗れなくはない。ただ・・・・はっきり言って使い物にならないでしょ?こんな状態じゃ。そこらは上司と相談してください。次3日にもう一回診て、判断しましょう」ということになった。

一番ヤバイ入院はなかった。痛み止めと湿布とコルセットをもらい帰宅。帰宅し、痛み止めを飲むと、多少なりとも痛みは和らいだように思えた。

そのまま年は暮れ、新年となった。元旦、痛みは多少おさまった気がするが、それでも痛い。結局1日チェアでテレビ三昧。一度だけ外出、初詣に神社に行ったきり。

2日、この日は朝からクラブのOB新年会。暗いうちから出発し、集合場所へ。痛いけど何とか運転できる感じ。しばらくすると皆集まって、久しぶりの顔合わせ。その後釣りたい者は釣りをし、しない者は見ていると、ニゴイとバスが釣れた。暖かいとはいえ、なかなかイイ感じ。一通り釣ると、することもなくなったのが釣り終了。みんなでハンバーガー屋へ移動。セットを頼みダラダラ過ごす。昼過ぎ、そろそろ鎮痛剤の効き目が薄れてきて、痛み出したくらいにお開き。ま、皆さん、それぞれの分野で活躍しているようで良かった良かった。

3日、朝から病院。行ってみると、前回とは違う雰囲気。先生も違い、また一から状況を説明。レントゲンを撮って、気胸や出血はなし。7日に、もう一度この前の先生に診てもらうことに。

4日、病院の診察結果を持って、職場で相談。日に日に良くなってはいるものの、まだ布団でまっすぐ寝れない、気胸と出血はとりあえず心配ない、1ヶ月ほどで痛みはなくなる等の話をし、検討の結果、今回の乗船は見送ることにし、陸勤務が決まり。

5日、船の部屋を空けるために船に出勤。結構手こずると思っていたが、意外とすんなりまとまり、掃除もして、部屋が空になった。なんだか寂しい気分。ただ、荷物の上げ下ろしをしたために、痛みは多少増した感じ。午後からは家で静養。

6日、1日静養。

7日、午前中病院。レントゲンとCTを撮って、診てもらう。肺に少し血が溜まっているものの、想定内というか、四本も折れている割に少ないらしい。折れたときのズレが小さかったので少ないのか?とりあえず気胸もない。次は2月に入り診せるとのことで病院終了。2週間分の痛み止めをもらった。

午後は船の仕事の引き継ぎをして、終了。帰り際に現場に行ってみる。合う人合う人に聞かれるので、落ちた高さを測ってみる。メジャーを伸ばすと・・・・・・・・4m。結構な高さでした。

8日、陸勤開始。1日疲れた。

9日、乗船の日、引き継ぎ忘れ等をチェックしに船へ。

11日、船が出港。見送るより送られる方がいいなぁと思った。

今思うと、落ちたことはアンラッキーではあるものの、落ち方、落ちたあとの怪我の具合は本当にラッキーでした。よくこれくらいで済んだなと思えるくらい。頭から落ちていたら死んでたかも。落ちた場所がフラットでなく突起があってももっと大けがになっていたはず。そして、あばら四本で済むくらい丈夫に生んでくれた両親にも感謝。強制的釣り納めと強制的初釣りお預けとなりましたが、暫くは養生して、完璧に治したいと思います。

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